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遊・裕・Youコンサート(その2) ステージを終えた僕らは客席に戻り、他の出演バンドの演奏を聴いた。 その後ステージは、西岡アキオさん、いかだ、ザ・西川バンドの順に進められていった。 僕が「あっ、しまった!」と重大なミスに気付いたのは、最後の出演者ザ・西川バンドの演奏の時である。西川バンドと言っても、メンバーは西川さん独りなのだが、まあそれは置いといて・・・。 西岡さんも西川さんも、曲の間に手話の方を紹介しておられるのに対し、僕らかちがらすはライブをやっている間1度も手話のことには触れなかった。 「ああ、なんということだ!」 朝からずっと一緒に行動してきたはずなのに、本番で紹介しないなんて。一所懸命に練習しておられた手話の会の方々に申し訳ないという思いと、あまりにも自分たちのことしか見えてなかった僕自身への愚かさに、どうしようもない羞恥の気持ちが込み上げてきた。 目が見えない者は、周りに対する配慮に欠けるところがある。もちろん、そうでない人もいるが、この時も僕はその事実を自覚せずにはいられなかった。 「おい、俺たちさ、手話をつけてくれた人の紹介をしなかったよなあ!」 隣に座っていた評論家にそっと耳打ちした。評論家も同じように思ってくれたらしい。コンサートが終了した後で、しきりに手話の会の方に謝っていた。 もう今更遅いとは思うが、ここに演奏曲目と、手話を担当してくださった方々の名前を紹介しておきたいと思う。 【かちがらすのテーマ】→木場久美さん 【緑色の風】→林田直美さん 【Names】→糸山美香さん 【一本の樹】→三池里見さん 【なぜどうして】→岡野順子さん 本当に皆さん、すみませんでした。これに懲りず、またよろしくお願いします。 これは後で美代ちゃんに聞いた話なのだが、『Names』の手話をしてくださった糸山さんが、手話を間違えたと言ってすごく悔しがっておられて、僕らに対して「申し訳ない」とおっしゃっていたそうである。僕はその話を聞いてとても感激した。それだけ必至にやってくださっていたのだ。 あれだけ大勢のお客さんの前に立って手話をするのだから、緊張しないはずはない。間違えたからと言って、誰もそれを責めたりはできない。 自慢じゃないが、僕ら・かちがらすは20年余り人前で演奏しているのに、未だに間違えてばかりいる。もし、かちがらすが糸山さんみたいに謙虚で、間違いを「悔しい」と思ってくれれば、もう少し歌もギターも上手になるだろうに。と僕は思う。もちろん、自分も含めて。 コンサートは、ザ・西川バンドの『虹』を、会場のみんなで一緒に歌ってフィナーレとなった。 この『虹』という歌は西川さんのオリジナルらしく、ほんのりしたとても暖かい歌だった。歌う前には歌詞の手話指導があって、お客さんもスタッフもみんな、手話を使いながら一緒に歌った。 お客さんは100人と聞いていたが、それ以上に感じられるほど、拍手と笑いに包まれたとても暖かいコンサートだったと思う。 コンサートが終わってから、僕らは再び車4台に分乗して帰路についた。佐世保組は戸辺ちゃんと萱野さんの車で、佐賀組は恵さんと美代ちゃんの車で、それぞれ自宅まで送ってもらった。 途中、佐賀組は長崎のバーミアンという中華料理のファミレスに寄って食事をしたので、僕の家に着いた時は、もう11時30分だった。後日、美代ちゃんに送ってもらったジョージや評論家に尋ねたところ、彼らが家に着いたのは12時前後だったらしい。 と言うことは、恵さんも美代ちゃんも、帰宅はおそらく1時〜2時くらいになったのではないだろうか。今回もまたすごく面倒をかけてしまった。 送迎をしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。 以下に、今回のコンサートで時間を共有した仲間たちを紹介します。 【友人 その1】 いかだ 「いかだ」は「かちがらす」と同じ視覚障害者のバンドで、長崎を中心に幅広く音楽活動をしている。 メンバーは、キーボードとボーカルを担当する大嶋務君と、ギターとボーカルを担当する内田修嗣君の二人。 二人と言っても、キーボードの大嶋君は1台のキーボードで一度に何種類もの楽器の音色を操るスーパープレイヤーなのである。最初彼らの演奏を聴いたリーダーの川内は、いくつもの楽器が混じっているので、てっきり打ち込みだと思ったらしい。ところが、内田君に尋ねてみると、打ち込みじゃなくて、大嶋君がリアルタイムで弾いているのだと教えてくれた。 ドラムやパーカッション、ベースはもちろん、バンジョーの音色に至るまで、全て鍵盤をたたいてその音を出しているのだという。今回のコンサートでも、『カントリーロード』を演奏していたが、左手でベースを右手でバンジョーのパートを弾いていた。しかも歌いながらである。 僕は初めて「いかだ」の演奏を生で聴いたが、大嶋君のキーボード、内田君のギター、二人の個性的なボーカルとハーモニー、それに曲のアレンジ、どれを取っても素晴らしいと思った。 それに何よりも、二人のバランスがすごくいい。演奏では内田君がちょっと控え目で、大嶋君の才能を上手く引き出しているなあと感じた。だからと言って、けっして内田君が目立たないという訳ではない。内田君がギターを弾きながら歌っている時は、大嶋君は少し控え目で、その微妙な出し入れが実に上手い。 正直言って僕は、「いかだ」に対して密かにライバル意識を持っていた。今回初めて同じステージに立つというので、かなり意識もしていた。でもそれは僕の独り善がりで、彼らの演奏を目の当たりにすると、やはり音楽的なレベルの違いを感じない訳にはいかなかった。 ここで一つエピソードを紹介しておこう。 コンサート前の打ち合わせが終わって、僕らがギターのチューニングをしようとした時、タイミング悪く、ステージ上でPAを使ってのリハーサルが始まった。 「困ったなあ、これじゃあチューニングできないよ」とぼやいていたら、内田君が「つとむを貸しましょうか」と言ってくれた。 「つとむ」と言うのは大嶋君の名前である。 大嶋君は絶対音感を持っているので、ギターをチューニングするのに音叉もチューニングメーターも必要ないのだ。 そう言えば、僕らの友だちにもそんなやつがいた。学生時代、手元に音叉がない時はそいつの所にギターを持っていって「ごめん、ラの音をちょうだい」と言って、彼の出すラの声に5弦を合わせたものである。 結局ギターのチューニングは、会場の外の静かな場所に移動して音叉で行ったが、内田君が自信を持って推薦するくらい大嶋君の絶対音感は性格なのである。 コンサートの後、僕と評論家は内田君に彼のギターを見せてもらった。ギターについて書くと、ものすごく長くなりそうなので、詳しくは書かないが、内田君のギターに対する接し方とか、考え方とか、僕にはすごく勉強になる。 内田君のギターのネックには、上の方のフレットの裏側・数ヶ所に点字のシールが貼り付けてある。ハイポジションを押さえる時にフレットを間違えないようにと工夫したのだそうだ。 「なるほど!」僕はそれを触った時、目から鱗の気分だった。 内田君とは数分間話をしただけだったが、他にもいろんなことを教えてもらった。とても楽しく有意義な時間だった。 「またいつか一緒にやれたらいいね!」 僕らはそう言って別れた。 【友人 その2】 神田さん 「おまえたち、年取ったなあ!」それが神田さんの僕らに対する第一声だった。 「20年ぶりに会ったというのに、それはまた、ご挨拶ですねえ!」 そう思ったが、もし僕らの目が見えていたら、同じような言葉をそっくり神田さんにも返したかもしれない。 神田さんと僕らは学生時代一緒にわたぼうしの活動をしていた悪友なのである。いやっ、悪友という表現は正しくない。神田さんの方が僕らよりも年上で人生の先輩なのだから。 当時、神田さんは西九州大学の学生で、僕らは、佐賀盲学校に在籍していた。寮生活をしていた僕らは、休みの日など寮を抜け出しては神田さんのアパートに入り浸っていた。神田さんのアパートはあの当時、わたぼうしの活動をしている仲間たちの溜まり場になっていた。そこで僕らはギターを弾いたり、歌ったり、語り合ったり、時々酒を飲んだりと、青春を謳歌していたのである。 あの頃は神田さんもまだ自分の足で歩いておられたが、今はずっと車椅子で生活されているらしい。僕らも視力をほとんど失ってしまったように、障害というものは、年と共に容赦なく進行して行くものなのだろうか。 でも、そんなことでめげるわけにはいかない。 神田さんの声は20年前とちっとも変わってなくて、僕らに対する毒舌も健在だった。そのことに僕はなぜかほっとして、スーッとあの頃にタイムスリップした気分だった。 「神田さん、いつか一緒に酒を飲みながらみんなであの頃の話をしましょうね。」 な〜んて書くと、「やっぱりおまえら年取っておじんになったな!」と言われるかな? 【友人 その3】 その他の仲間たち この日、コンサートに来てくれた友人はまだまだたくさんいる。 佐世保から一緒に行った山本ひで君と田頭さん。いつもリーダーの駄洒落に大笑いして僕らのコンサートを盛り上げてくれる優しい女性の永田さん。 一緒にチャンポンを食べ損なった気のいいノッポのキリン君。そして、福岡から子どもさんを連れて遥遥長崎まで聴きに来てくれた僕の古い友人の古川さん。 コンサートの度にいつも僕は思う。僕ら・かちがらすは友人にすごく恵まれていると。 みんな本当にありがとう! 2004年10月29日 |