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音楽時代屋・伝説LIVE・梅トリ記念(前編) 4月2日 日曜日 曇り 時々雨 のち晴れ この日のかちがらすの行動 8時35分、僕と評論家と用務員は日宇駅で森永秀一さんと落ち合う。 それから森永さんの車に乗り込みリーダー宅に行く。 9時頃、リーダーと、ギター3本、マンドリンを積み込んで長崎へ向かう。 10時45分頃、長崎のワインバー「田舎」に到着。 そこで2時間余り、練習及び昼食。 13時頃、「田舎」を出て梅さんと一緒に徒歩で浜の町の「オハナカフェ」へ移動。 10分くらいで到着。 13時30分〜18時30分、時代屋伝説ライブ。 19時10分頃、「オハナカフェ」を出て帰路につく。 電車を降りて日宇駅のホームに立った時、昨夜からの雨はもうほとんど上がっていた。 「おはよう!」 ホームを僕らの方に向かって歩いてくる森永さんの爽やかな声が聴こえた。 「おはようございます!今日よろしくお願いします。」 一言二言挨拶を交わし、僕らは駅の駐車場に止めてあった森永さんの車に乗り込んだ。 心配していた天気もだんだん快復に向かっているようだ。予報も「昼からは晴れてくるでしょう」と言っている。 リーダーの家に寄ってギターとマンドリンをトランクに積み込み、助手席に用務員、後部座席に右から僕、評論家、リーダーの順に座った。 佐世保から長崎まで、高速を使わなくても1時間半くらいで行けるという。 途中、錦海町という所でコンビにに寄ったのでその分少し遅くはなったが、ほぼ予定していた時間に長崎に着くことができた。 車が市内に入ったところで、梅さんに電話して、ワインバー「田舎」の場所を尋ねた。 予報に反して、雨がまたザーザーと音をたてて降りだしていた。 空も一面真っ暗だという。やはり「長崎は今日も雨」なのか。 梅さんの指示通りに車を走らせてもらい「田舎」のビルの前に着くと、梅さんは降りてきて僕らを待っていてくださった。 昼間にここ・銅座に来るのは初めてである。 そのことがやけに新鮮に思えた。 僕らは梅さんと森永さんに誘導してもらいながら、ギターケースを抱え、静まり返った雑居ビルの急階段を3階まで上り、「田舎」の店内へと入って行った。 当然のことだが、夜来た時とは雰囲気が全然違う。 音も匂いも、それに空気も。 とは言っても、何度か来ているので店内の構造は大体頭に入っている。入り口で靴を脱ぎ、ボックス席とカウンターの間の通路を奥に向かってそろそろと進んで行った。 そして、座椅子を脇にのけて僕らのために確保してくださっていたのであろう、カウンターそばの小スペースに楽器等の荷物を下ろし、僕らは早速練習に取り掛かった。 実を言うと今回のライブ用に一つ秘密兵器を用意している。オートハープという楽器だ。 台形の形をしているその楽器は、スチール弦が36本張られていて、それをギター用のピックでジャラーンと弾いて音を出す。名前のとおりハープみたいなとてもきれいな音色がする。左手の当る部分には10数個のコードバーがあって、それを押さえることによりCとかFとかGとか、いろんなコードの音が簡単に出せるしくみになっている。別名をコードハープとも言って、昔アメリカのフォークソングの元祖である、オリジナルカーターファミリーというバンドがよく使用していた。 この楽器を持ってきたのは用務員。したがって弾くのも彼である。『僕たちの船出』の前奏のメロディーをオートハープでジャンジャンジャーンと弾き始めたところ、「まるでカーターファミリーみたいだね」と梅さんはえらく喜んでくださった。 それに気をよくしてか、用務員は「今回のレコーディングでなぜこの楽器を使用しなかったのか」について説明を始めた。要するに、あの時点では36本の弦がまだ揃っていなかったというだけのことなのだが。 たった1曲だけではもったいないということで、オートハープを使った日本フォークの代表曲『遠い世界に』も今回のメニューに入れている。 予定している5曲を一通り練習し終えたところで、コーヒータイムとなった。 カウンター席に腰かけて、みんなで梅さんが入れてくださったコーヒーを飲んだ。 BGMはもちろん、完成したばかりのアルバム「TAKEAKI UMEZAWA TRIBUTE」である。 1曲目の『やがてラストミュージックが』が流れてきた。静かなピアノ伴奏のスローバラードで、歌っているのは大瀬良重徳さん。 こうやって形になったCDを聴くと「ついに完成したんだな!」と実感と共に嬉しさが込み上げてくる。 2曲目は、あのアカペラグループ・Sofaの『19の頃』。そして3曲目はチカさんの『葉ざくら』。 どのグループも、自分の世界に取り込んで、自分の歌として梅さんの作品を歌い上げている。だからそれぞれとても味があって、これぞトリビュートアルバムって感じがする。 4曲目はかちがらすの『すずらん通り』で、5曲目は同じくかちがらすの『僕たちの船出』。 『すずらん通り』が鳴り始めた瞬間、正直僕はホッとした。これだけのそうそうたるメンバーだ、僕らの演奏だけが聴き劣りするのではないかと、内心不安を感じていたのだ。でもそれは杞憂に過ぎなかった。リーダーも同じ想いだったのか、「よかった!」と安堵している声が聴こえてきた。 音楽の優劣はけっして同じ物差しでは計れない。自分たちのカラーを出しさえすれば、どんな演奏でもきっと誰かに受け入れてもらえる。だからこそ芸術なのだ。 こういう、いろんなシンガーが集うアルバムの中で自分たちの歌を聴くと、少しだけ客観的な視点に立って自分たちのバンドの色を見ることができる。そしてこれから目差して行くべき方向みたいなものも自ずと見えてくる。「どフォーク」という言葉が『僕たちの船出』のサウンドの中で誇らしげに踊っていた。 6曲目は、寄川紹子さんの『村まつり』である。タイトルからして、賑やかなアップテンポの曲かと思っていたら。全く反対でマイナーのどことなく寂しげな曲だった。驚いたのはそのマイナー調の曲に三線が入っていたことだ。しかもそれがサウンドにとても良い色を添えている。「こういうのもありなんだ!」またしても僕の眼から鱗が1枚剥げ落ちた。 ここまで聴いたところで、「会場の様子を見てくるから」と、梅さんが中座されたので、BGMを止めてもらって僕らは再び練習に入った。 今回の一番の難所は『すずらん通り』の後奏だ。メロディーは用務員がハーモニカで吹くことになっている。ところが、用務員は2週間くらい前からブルースハープにするかクロマチックハーモニカにするか迷っていて、未だに決めかねているのだ。「二兎を追うもの一兎を得ず」で、どちらの演奏も非常に危うい。 彼の場合、周りがあれこれ言うと余計に反発するところがあるので、最後まで本人の選択に委ねはしたが、本番直前にこれでは僕らとしても不安でしょうがない。 それともう1箇所、転調部分のギターも難関である。僕がメロディーを弾き、リーダーは間奏が終わると瞬間的にカポを外す。なので、間奏から3番に入る部分は評論家に演奏を引っ張って行ってもらわなくてはならない。その評論家は先週別の用事で練習に参加できず、やや練習不足気味なのだ。 他の曲は二の次にして、とにかく『すずらん通り』の間奏から後ろを集中的に練習した。 そうやって30分くらい経っただろうか、梅さんが戻って来られた。 「さあみんな、弁当でも食べようか!」 どうやら梅さんは帰りに弁当を買ってきてくださっているようだ。 僕らは即座に練習を切り上げ、再びカウンター席に並んで座った。 そして、梅さんを囲んでみんなで楽しく団欒しながら昼食をいただいた。 時間はあっという間に過ぎて行った。もうそろそろ会場に移動しなくては。僕らはギターとマンドリンを急いでチューニングしてケースに収めた。 ビルの階段を下りて通りに出た時、そこには午前中の雨がまるで嘘のように明るい日差しが降り注いでいた。僕らはその日差しの下、歩いて会場のオハナカフェまで移動した。銅座の路地を出て、広い電車通りを横断して、浜の町の賑やかなアーケードを抜け、りかちゃん通りと歩いて行く。途中、りかちゃん通りの命名の経緯を梅さんに教えてもらった。何のことはない、一般募集によって決まったのだそうだ。あのリカちゃん人形とは全く関係はないらしい。それにしてもまあ、かわいらしい名前である。 オハナカフェには本番直前の1時20分頃に着いた。店内は賑やかですでにもう盛り上がっているような雰囲気だった。 後編に続く。 2006年4月12日 |