ジョージとウクレレ物語



 あれは何年前のことだったろうか。ジョージが僕の所に「何か楽器を始めたい」と電話してきたのは。
「かちがらすのメンバーの中でさ、俺だけが何も楽器弾けないだろう?この頃なんだかそのことがやけに淋しく思えるんだよねえ。」
僕にはジョージのそんな切ない気持ちが不思議とよく分かる気がした。
僕らのコンサートでは、必ずと言っていいほどメンバー一人一人に対し、一人ずつの介助ボランティアが付く。それもほとんのの場合女性である。「きっとその方が喜ぶだろう」と、かちがらすは周りに思われているようなのだ。ほんの一部のメンバーのお陰で。
楽屋での場面になるが、
「ねえ、君たちは普段どんな歌を聴いてるの?」
「やっぱスマップかなあ!」
「じゃあこれなんか歌えるよねえ?」
と言って僕は「夜空ノムコウ」をギターで弾き始める。
そして彼女たちと一緒に歌って盛り上がる。
ボランティアが僕らと同年代の人なら、昔流行したフォークソングなどをを引っ張り出してきて同じように盛り上がる。
あまりにも調子に乗り過ぎた時は、メンバー同士の打ち合わせをそっちのけで歌っていることもある。
そんな僕らと同じ空間にいながら、一人だけ楽器が弾けないというのは、ジョージにしてみればやはり淋しかったに違いない。
「で、ジョージはいったいどんな楽器が弾きたいんだ?」
「それが自分でもよく分からないからこうしてお前に相談しているんじゃないか。ねえ、何がいいと思う?」
「そうだなあ、ウクレレなんかどうだ?」
その頃世間では、ウクレレが密かなブームとなっていたこともあって、僕は彼にウクレレを薦めた。
 ところが、ジョージは何を血迷ったか、僕の薦めを無視してフルートなるものを買ってしまったのである。
「なんでだよ、フルートなんて独学で吹けるようになる訳ないだろうが!」
ジョージは間もなく、そのことを自ら悟ったのか、あっさりとフルートの練習を放棄してしまった。
 実は以前にもジョージは、ギターを練習したいと言ってフォークギターを買ってきたことがある。彼がまだ北九州にいる頃だったから、今から15年くらい前のことだ。
そのギターは、ほとんど弾かれないまま、車に例えれば新古車状態で「円ちゃんギター」の名前が付いて現在評論家の手に預けられている。
その経緯も僕は知っているので、フルートの件依頼僕は、もうジョージに頼まれても安易に楽器を薦めたりはしないと決めた。
人には誰にだって向き不向きがあるのだ、きっとジョージの性格は楽器を弾くということにあまり向いていないのだろう。
 それから1年くらい経った頃、ジョージがまたしても楽器のことで僕に電話してきた。
「ねえ、今NHKのテレビでウクレレの演奏があっているんだけどさ、このウクレレけっこういい音しているんだよね。こんな音が出せるんなら俺もやってみようかなあ!」
そんなジョージの相談を僕は「ああ、またいつものことか!」と冷たく聞き流した。
以来ジョージは僕に楽器の相談を持ちかけなくなった。


 それからさらに1年くらい経った一昨年の夏、ジョージが僕の実家に泊りがけで遊びに来た。
一頻りジョージの近況などを聞いた後で、僕はあることを思いついた。
「ちょっと試してみようかなあ!」
僕は自分のウクレレを持ち出してきてジョージに抱えさせた。
「いいか、これがウクレレだ。左手の薬指で1番下の弦の左から3番目を抑えてみろよ。」
ポローン!
「ほら、コードになっているだろう?これがcというコードなんだ。」
そうやって、基本となるCとFとG7のスリーコードを教えてあげた。
とりあえずこのスリーコードを知っておけば、いくつか曲は弾ける。
「なるほどお、案外簡単なんだなあ!これなら俺にも弾けるかもしれないぞ!」
ジョージは珍しく熱心に、この三つのコードを繰り返し練習していた。
そして数時間後には何とかコードらしき音が出せるようになったのだ。
「よし、じゃあ何か曲を練習してみようか!」
僕はスリーコードで弾けるいくつかの曲を見繕った。
その中でジョージが一番熱心に取り組んだのは「ハッピーバースデー」。なぜそうなのか、これについては後に意味が分かるのだが。ここではまだ伏せておこう。
とにかくジョージは、僕の家に滞在していた10数時間のうち、その大半をウクレレの練習に費やしたのだった。
そしてスリーコードにAmのコードを加えた4つのコードを覚えて、「ハッピーバースデー」や「コンドルは飛んでいく」などいくつか課題曲のおみやげを背負って嬉野へ帰って行ったのだった。そしてそのすぐ後に彼がウクレレを購入したのは言うまでもない。


 これで僕がジョージに対してアフターケアーを何もしなければ、「ジョージを唆してウクレレを買わせた悪いやつ」と友人たちの間で僕に対する悪評が飛び交うことになるだろう。
別に僕はジョージにウクレレを買うように薦めた訳ではないが、興味を持つように仕向けたことには違いない。
「じゃあとりあえずジョージがある程度弾けるようになるまで、つまりかちがらすの楽曲をどれか一つマスターするまで、俺が責任を持って指導してあげよう。」
そんな、人が聞けば「偉そうに!」と思われそうなことを僕は決心した。
 まず簡単な課題曲を用意して、その曲を演奏するのに必要なコードの押さえ方と、右手のストロークのやり方を実演しながらMDに録音する。そのMDを聴きながらジョージが自宅で練習して、一応マスターした時点で僕が次のステップのMDを作成する。
こんなやり方で最終目標をジョージの持ち歌である「ピクニックに行こう」に置いて、僕らはレッスンして行った。
 実を言えば、このレッスンを続けて行く上で、ジョージが飽きて途中でウクレレを放り出さないように、僕は二つの仕掛けをしたのである。
 その一つはウクレレに名前を付けること。ウクレレが女の子なら、ジョージもきっと可愛がるに違いない。
そこで僕は彼のウクレレに「マホちゃん」と言う名前を付けてあげた。なぜって?材質がマホガニーだからね。
ジョージはとても喜んでくれた。こういう単純なところも陽気なジョージの素晴らしい長所なのだ。
 仕掛けのもう一つは、曲を作ってあげること。
ジョージにはガールフレンドがいて、もうすぐ彼女の誕生日がやってくるらしい。その時にウクレレを弾きながら歌ってあげれば、それは最高の演出になるではないか。
「よ〜し、俺が人肌脱ごう!」ということで、ジョージにスリーコードだけで「ウクレレハッピーバースデー」という短い歌を作ってあげた。
 果たしてその年の二人の誕生会がどのように運んだのか僕には知る由もない。またそこまで立ち入るほど僕も物好きじゃないから。
 とにかくこの二つの仕掛けはよく効いた。
ジョージは、半年間に渡って僕の退屈な通信講座を真面目に受けてくれて、当初の目標だった「ピクニックに行こう」を何とかマスターしてくれたのだった。


 そう言えばマホちゃんにはもう半年以上お目にかかっていない。最近ジョージはちゃんと彼女を弾いてくれているのだろうか。
気にはなるけど、僕の責任は彼が「ピクニックに行こう」を弾けるようになった時点で果たしたと思っているので、あまりしつこく追いかけたりはしない。「練習したいから教えてほしい」と自分から言ってきた場合は別だけど。ただし、正直なところ僕にはこれ以上ジョージに教えてあげるべき手持ち駒がもう残っていない。
僕もウクレレに関しては、簡単なコードを少し知っているくらいで、ほとんど弾けないのだから。
 いつだったか、ジョージがウクレレを持ってコンサートに参加した時、バンマスの和美に「円ちゃん、楽器が弾けるって楽しいだろう!」とポツンと言われたらしい。
そうなんだ、みんなと一緒に楽器が弾けるってことは、楽しいことなんだ。上手か下手かなんてさほど問題じゃない。
僕はジョージにそのことを自身で体験してほしかった。要するにただそれだけのことだったのだ。

2003年2月16日



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