T君の優しさと交差点


1月16日 金曜日


 今朝、僕は信号機のない交差点で、車の音が途切れるのをじっと耳をすませて待っていた。
僕が渡ろうとしている道路は、普段そんなに車の量は多い方ではない。ただ、その交差点は五叉路になっている上に、メインの道路は片道2車線なので、僕のような視覚障害者にとって、決して渡りやすい箇所とは言えない。
「いま渡っていいですよ!」
そばで中学生っぽい少年の声がした。
そういう時ってすごく嬉しいものである。
「ありがとう!」
僕は彼に礼を言って向こう岸へと渡った。
 「今の少年は、いったい誰だったんだろう?」
僕は後で思った。もしかしたら息子の友達T君ではなかったろうか。T君は時々そうやって僕に声をかけてくれるのだ。
 いつだったか、うーん、確か昨年だったと思う。仕事の帰り、今日とは違う別の、もっと大きな交差点で、30メートルくらい離れた対角線上から大声で、「青になりましたから渡っていいですよ〜!」と声をかけてくれたことがあった。
なぜ僕にその声の主がT君だと分かったのかというと、その時一緒に息子もいたからである。おそらく部活の帰りだったのだろう。
息子は隣で自分の父親に向かって大声で叫んでいるT君に、
「親父は信号分かるんだから、教えてあげなくてもいいよ!」と袖を引っぱりながら言ったらしい。きっと息子にしてみれば恥ずかしさもあったのだろう。
後でその話を聞いた時、僕は息子に言った。
 「よけいなこと言うなよ〜」
僕は毎日、そういった優しい一言にどれだけ助けられているかしれない。」
信号のない交差点での「渡っていいですよ!」の一言。例え信号のある交差点であっても、「青になりました!」と一言声をかけてもらうだけで、僕たちは安心して足を踏み出すことができるものなのだ。
 せっかくT君は親切に教えてくれているのに、それを「教えなくてもいいよ」とは何事だ。
それにこの世の中には僕以外にも視覚障害者は山ほどいる。その中の何割かは街を命がけで歩いているのだ。そして親切な人たちのちょっとした一言を密かに期待しながら待っているのである。
僕はT君に「いつまでも、その優しい気持ちを持ち続けていて欲しい」と願っている。高校、大学、そして大人になってもね。

 最近、みんな時間に追いまくられて生活しているせいか、車の走り方も以前に比べかなりせっかちになった気がする。
交差点の中で先を急ぐ車たちは、僕の恐怖感など完全に無視して、すぐ前後を容赦なく乱暴にすり抜けて行く。
僕はプロの盲人だから怖いなりにもちゃんと横断できるが、仮に普通の人たちが目隠しをして渡ろうとすると、おそらく足がすくんで1歩も先へは踏み出せないだろう。例え誰かに手を引いてもらったにしても恐怖感はさほど変わらないと思う。
交通量の多い交差点は、我々視覚障害者にとって、そういうスリリングな場所なのである。
だからドライバーはもう少し僕らにも配慮して、できるだけ恐怖感を与えない運転をしてもらいたいと、道路を横切る度に僕は思う。
 そして、我々が安全に横断できるように、日本中の交差点に、早く分離式の信号が設置されることを切に望んでいる。
2004年9月22日 UP



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