5.10さがストップ!プルサーマル人文字フェスタ(その4)


回想

 走り出した”みどり号”のデッキに立って、僕は目の前を流れていくボンヤリとした輪郭のない風景を見ながら、今回の3週間続いたライブツアーのことを思い返していた。練習も含めると、4週続けてということになる。これだけ詰めてライブをした事はかつてあっただろうか?

 4月19日、僕らは約5ヵ月ぶりに集まって練習をした。場所は佐世保のサンアビリティーで時間は午前9時から午後5時まで。
この日戸辺ちゃんは「10時過ぎに行きます」と言っていたはずなのに、「今からそちらに向かいます」との電話連絡を受けたのが11時30分頃だった。11時30分とて10時過ぎであることには違いない。この場合の○○時過ぎと言うのは一般的に何時頃までを差すのだろう?と、そんな疑問が皆の間で持ち上がった。
その電話の後、僕らは街で戸辺ちゃんと待ち合わせて、そのままタクシーでアースデーのイベントが催されている名切公園に行った。実行委員の一ノ瀬文子さんに5月10日のチラシをもらう為だ。
それから、真夏のような強い陽射しが照りつける中を昼食場所を求めて汗をかきながらテクテク歩き、結局は島ノ瀬公園の傍にある立石うどんに入ったんだった。
僕は玉子うどんといなり寿司を食べたが、歩いた後だけにあの組み合わせは美味しかったなあ!
昼食を済ませてから、再びサンアビリティーに戻り練習をしたのだが、そこでも、「寝るときは枕を布団のどの位置に置くか?」なんて、全く下らないことで評論家とリーダーと戸辺ちゃんの三人は真剣に議論をしていた。
かちがらすの場合は、実質的な練習よりもこういった雑談している時間の方が長いからまことに困ったものだ。

 4月26日は大塔町にある障害者の作業所・三輪車なるこクラブの9周年祭に呼ばれて、かちがらす単独ライブを行った。
その日も天気は良かった。だけど、一週前の夏のような暑さとは違って、五月らしい明るく優しい陽射しだった。
そんな中、野外に設けられた仮設のステージで、アンコールまで含めて8曲、時間にして50分程演奏した。
会場に戸辺ちゃんを見知っている人が多かったこともあって、ここでの戸辺ちゃんは人気者だった。「次は戸辺さんが歌います」と言っただけで皆あんなに喜ぶんだもんなあ!あのライブははっきり言って戸辺ちゃんに盛り上げてもらったようなものだ。
それにしても、リーダーの第一声が「皆さんこんにちは、草薙剛です!」だったことには正直僕も度肝を抜かれた。果たして、リーダーのあのいきなりのギャグ、会場の皆はどんな風に受け取ったんだろう。ちょっと心配だ。
ライブの後にご馳走になったカレーライスと缶ビールは美味しかった。それに、浦さんという、まるで男性のような豪快な感じの元気のいいお姉さん。食事をしながら、最近巷を賑わせている事件や政治のことなど、いろんな話をしたけど、すっごく楽しい人だった。
ビンゴゲームにも参加して、景品ももらった。5年前は女子大生だった可愛い井上さんと彼女のお友だちの山田さんに入れてもらってホットコーヒーも飲んだ。
そうしてみると、あの日僕ら・かちがらすは特別待遇だったということに気づく。
帰りにリーダーの家に寄って次のライブに向けての練習をしたのだが、皆疲れていてほとんど練習にはならなかった。リーダーなんか、ギターを弾きながら眠り込んでいた。途中で全然違うコードを弾いていると思ったら、船の上でギターを弾いていたのだ。わたるセンセイではあるまいし。困ったものである。

 5月3日は「ながさき九条フェスタだった。今年でこのイベントへの参加は4回目。
今回、初めての試みでレンタカーを借り、戸辺ちゃんに運転してもらって長崎まで行った。車種はトヨタのマークIIだった。
運転手は戸辺ちゃん、助手席にニャンコ姫、後部座席にリーダーと評論家と僕、そしてトランクにギブソンとKヤイリという編成だ。
ああして皆でドライブする機会なんてめったにないので、いつもとはちょっと違った気分で僕はウキウキしていた。まるで子どもだ。
長崎の水辺の森公園に着くと、キリン君が来てくれていた。
僕らの出番は1番目。公園の隅っこで1〜2回練習して、そのままステージに立った。
演奏は普通にできたと思う。ただ、歌っている途中から雨がポツポツと降り出して、ギターが少し濡れてしまった。
それでも、僕らはまだ良かった方で、後の出演者はあのパラパラという雨の中、たいへんだったろうなと思う。途中からスピーカーやアンプにビニールがかぶせられて、それでもライブは続いていったから、主催者の熱意は半端じゃないと感じた。
昼食は公園の橋の下に移動して、シートを広げてその上で皆で車座になって取った。今回もニャンコ姫の手作り弁当だ。おにぎりもおかずもたくさん作って持ってきてくれていたので、毎年そうしているように、アカシさんも誘って7人で団欒しながら食べた。玉子焼きもコロッケも、もちろんおにぎりも、どれもお世辞抜きで美味しかった。ワイワイと冗談なんか言いながら、ほんと楽しい時間だった。
数羽の鳩が弁当を食べている僕らの周りを、もの欲しそうに「ポロッポロー」と喉を鳴らしながら歩き回っていた。
「おまえには分けてやりたくてもやれないんだ、ごめん!」なんて、僕は心の中で鳩たちに話しかけていた。
小降りにはなったものの、雨は午後も降り続けていたので、僕らは予定よりも少し早く切り上げて、水辺の森公園の隣にある美術館の2階にある喫茶室に入ってコーヒーを飲んだ。
戸辺ちゃんが最近「水を買いませんか?」というセールスの電話がかかってきたという話をしている時に、キリン君がすかさず「それはみずしらずの人ですか?」と突っ込みを入れたのには、僕は大笑いしてしまった。あれは飲み物を思わず吹き出してしまうくらいに面白かった。
キリン君は普段すごく真面目そうに見えるので(実際そうなんだけど)、突然親父ギャグなんかを言うと、そのギャップに皆つい笑ってしまうのだ。それほどたいした駄洒落でなくてもである。あっ、こういう言い方はキリン君に失礼だな。でも、あの突っ込みは最高に良かった!ほんとうに。あれを聞けただけでも長崎に行った甲斐があったというものだ。
キリン君とは、駐車場で別れて、僕らはまたレンタカーで2時間近くかけて帰ってきた。
早岐駅で僕と評論家とニャンコ姫を降ろして、黒髪でリーダーと2本のギターを降ろして、営業所にレンタカーを返しに行ってと、あの日戸辺ちゃんは一番遅くまで働いてくれた。このツアーが終わったら皆で戸部ちゃんにお酒をご馳走しないと。ね、リーダー。

 そして、最後のイベントが今日のストップ!プルサーマル人文字フェスタという訳だ。
この4週間、慌しくはあったが、とても充実した日々だったなあと、これら一つ一つの場面を記憶のスクリーンにフラッシュバックさせながら僕は思った。
僕らの傍にはいつも戸辺ちゃんが居てくれた。そして、どんな時でもさりげなく、しかも適確にサポートしてくれた。お陰で、僕らはほとんど何不自由なく行動することができたし、思いっきり楽しむことができたのだ。
「本当にありがとうね、戸辺ちゃん!」
隣に立って、同じように車窓の風景を見ているであろう戸辺ちゃんに向かって、僕は心の中で言っていた。

みどり号はあっという間に武雄温泉駅に着き、そこで評論家が降りて行った。それから約15分、次の駅・有田で僕はリーダーと戸辺ちゃんにお疲れさんを言って、松浦鉄道に乗り換えるために列車を降りたのだった。

終わりに

 このライブレポを書いていた5月18日に、MOX燃料を積んだフランスからの輸送船(パシフィック・ヘロン)が日本に到着したというニュースが入ってきた。
そしてさらに、23日、つまり今日だが、その船が午前6時半過ぎに玄海原子力発電所専用の港に接岸され、10時34分にMOX燃料がクレーンで陸揚げされたと、朝からずっとテレビやラジオで報じられている。
この後、MOX燃料は原子力発電所に搬入され、8月下旬の定期検査の後、11月にも日本最初のプルサーマルがいよいよ開始されることになっているそうである。
 レポの最初でも書いたが、僕は今回の「ストップ!プルサーマル人文字フェスタ」に参加するために、自分なりにいろいろと調べ、ほんの僅かではあるが知識を得た。

 MOXは、ウランと猛毒物質のプルトニウムの混合酸化物であること。
 プルサーマルを行おうとしている原子炉(軽水炉)は本来プルトニウムを燃やす為に作られたものではないということ。
 したがって軽水炉内でのプルサーマル運転は、石油ストーブにガソリンを注ぎ込んで燃焼させるくらいに危険だということ。
 プルサーマルを行った後の使用済みMOX燃料は、未だにその処理方法が見つかっていないということ。

 こういう事実を知れば知るほど、不安が大きくなってくる。玄海町と言えば、僕の住んでいる町からすると、もう目と鼻の先だ。決して他所事ではない。
これから僕も、この関連の情報には関心を持って、今後の動向を自分なりに見守っていきたいと思う。

2009年5月23日



日誌のページに戻る