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5.10さがストップ!プルサーマル人文字フェスタ(その3) 12時を過ぎるとさすがに腹が減ってくる。周りにはたくさん店も出てることだし、見学がてら何か食べ物を調達に行こうと言うことになり、ニャンコ姫に荷物の番をお願いして僕らは席を立った。 僕は戸辺ちゃんと一緒に沖津さんが出店している地球屋さんのテントに行き、野菜カレーと沖縄のビールであるオリオンビールを注文し、それを持ち帰って芝生でいただいた。 ステージではロックのバンドが乗り乗りのビートを刻み、その前で大勢の人達が仮装したりして思い思いのスタイルで自由に楽しそうに踊っている。廃材で作ったというタンバリンみたいな楽器をチャカチャカ鳴らしながら演奏に参加している人たちもいる。僕も思わず、バッグの中からたまごのシェーカーを取り出してリズムを取って参加した。 このように、会場を一体化させて、聴いている皆を陽気な気分にさせてくれる、僕らのやっている音楽とは違う、ロックの底力というものをマザマザと見せ付けられた気がした。 そんなことをやっていると、リーダーと評論家とひろこちゃんが昼食を済ませてか、あるいは抱えてか分からないけど戻ってきた。 そこで僕はニャンコ姫にお願いして、廃材楽器のワークショップに連れて行ってもらうことにした。回りで鳴っているタンバリンの音を聴いていると、僕も作ってみたくなったのだ。 ここで参考までに僕が体験した廃材楽器の作り方を簡単に説明しておこう。 材料は、伐採された木から取り出したというY字型の枝1本(長さ40cmくらいのもの)・ビール瓶の蓋8〜10個)・針金1本・毛糸もしくは布切れと、これだけである。 まず、ビール瓶の蓋の中央にキリで穴を開ける(これは最初から開けてあった)。 次にその蓋を平面にする。この作業が一番大変で、必要な枚数だけ(僕の場合は8枚だったが)ドライバーの先で中央の穴の部分を押さえて動かないように固定し、蓋をクルクルと回転させながらひたすら縁の部分を金槌で叩いて広げていく。 終わったら裏返して、同じようにして形を整える。この平面になったビール瓶の蓋が言わばタンバリンのジングルになるのだ。 ジングルが出来上がったら、それらの中央の穴に針金を通して、その針金をY字型の小枝の二股に分かれている先の部分に橋渡しするようにして括り付ける。 最後に持ち手(グリップ)になる部分に、毛糸か布切れ、好きな方をグルグル巻きつけて見た目を整えれば完成である。 担当の親切なお姉さんに手解きしてもらいながら、ニャンコ姫にも蓋を広げる作業など手伝ってもらいながら、30分かけて僕は何とかこのタンバリンみたいな音色の楽器を作り上げた。 僕自身、こういう楽器に関わることが元々大好きなので、楽しみながら作業していたが、ニャンコ姫にしてみればさぞ退屈だったことだろう。もしかすると、あの時芝生で僕の隣に居たばかりに外れくじを引かされてしまった、そんな心境だったかもしれない。でもお陰で僕は、なかなか貴重な体験をさせてもらうことができた。ニャンコ姫さん、ありがとう! 時計を見ると、針は1時30分を差している。ステージは、バンド演奏からリレートークのコーナーへと移っていた。 「よし、これを皆に見せびらかしてやろう!」と思って、チャカチャカチャカといま作ったばかりの楽器を鳴らしながら芝生に戻ると、すかさずリーダーが「まさか、演奏でそれを使うつもりじゃないだろうね!」と不機嫌そうな声で言った。 リーダーは、僕が最近パーカッションにちょっぴり凝っていることを知っていて、ギターからパーカッションに鞍替えするのではないかと心配になり釘を刺したのだ。 もちろん、僕もそこまで入れ込んでいる訳ではない。それにそんな技術も無い。ただ、時々はタンバリンとか、シェーカーとか、その他の小物打楽器を取り入れて”かちがらす”のサウンドに色をつけたいだけなのだ。 現に先先週の「なるこくラブ9周年祭」のステージで、『銀色のランナー』の時にたまごシェーカーを振って結構良い感じだった。スリーフィンガーの速弾きパートを担当していた評論家も、シェーカーのリズムが入ると、すごく弾き易いと言ってくれた。 その煽てに乗せられた、という訳でもないが、リーダーと評論家にギターを弾いてもらって僕がパーカッション、戸辺ちゃんがボーカルという、そんな銀色のランナースタイルでの演奏も今後のライブでは織り込んでいきたいと最近は考えているのである。 トミーがやって来たのは1時頃ではなかったかと思う。ワークショップのテントの中でビール瓶の蓋をトントンやっている僕のところに「こんにちは!」とわざわざ挨拶に来てくれたのがその時間だったから。 トミーは、とっても可愛い6歳と3歳のお嬢ちゃんを連れて来ていた。 僕がトミーと最後に会ったのは、12年くらい前の「虹の街コンサート」の時だった。あれから結婚して二人のお母さんになっていたのだ。 そうしてみると、やはり時は流れているのだなと感じる。当たり前だけど。 しばらくトミーや皆と話をしていたら、あっという間に時間は経って、リレートークも終わろうとしていた。次はいよいよ人文字作りである。 このイベントに集まってきている人たち、総勢役1500人で、どんどんどんの森の広場にNO MOXの文字を書く。それを上空からセスナ機で撮影するというのだ。 僕らはMOXのOの文字の上に立った。頭の上ではセスナ機の他に、各新聞社やテレビ局のものと思われるヘリコプターが6機も飛んできて旋回している。 「カメラに向かって手を振ってください!」とのアナウンスが流れるが、僕は何処に向けて手を振ればいいのか分からない。しかたがないので、ニャンコ姫やひろこちゃんにおおよその位置を教えてもらい、その辺りに向けて手を振った。 空撮は準備も入れると、40分くらい続いた。天気も良く暑かったのもあって、その間じっと立っているのは結構しんどかった。こんなこと書くと、ひろこちゃんにまた「ほらっ、やっぱりお年寄だぁ!」なんて言われそうだが(笑)。 人文字の空撮が終わると、1500人の人たちはそのままパレードへと移行し、パレード盛り上げ隊・日本ジェンベクラブの賑やかな演奏と共に、県庁に向かって出発して行った。 しかし僕らは、ギター等の荷物のこともあったし、ひろこちゃんやトミーたちにそこまで付き合わせる訳にもいかないので、そのパレードには参加せずに引き上げることにした。時間はちょうど3時だった。 パレードを見送って荷物を片付けた僕らは、「せっかくだから皆でコーヒーでも飲みに行こう!」ということになり、その足でアバンセの1階にある喫茶室へと入った。そして、ケーキとドリンクがセットになっているケーキセットをオーダーしてお疲れさん会を開いた。 この時の様子まで詳しく書くと長くなるので割愛するが、ここでもけっこう、というか、それまで以上に盛り上がって学生の時のように大騒ぎしてしまった。 トミーとひろこちゃんが、ジョージと用務員に電話したのはこの場所でである。 数日後、僕がジョージと用務員に電話をかけて、「日曜日は驚いたやろ?」と尋ねると、ジョージは例の陽気な口調でその時の感想をこのように話してくれた。 「二人とも昔と声が変わっとったけん、最初は誰だかわからんかったよ。でも、ひろこちゃんの方は、独特のあのしゃべり方と声のテンションですぐに分かったね。どっちかと言うと、トミーの方が最後までわからんかった。前よりもずいぶん声が落ちついとったけんねえ。」と。 この様子からすると、またひろこちゃんはジョージとも「私は誰でしょう?」の問答をしたのだ。 次に用務員だが、僕が電話した時の彼は、いつものムッとした口調とは打って変わって、とても機嫌が良かった。そして、ジョージ同様、懐かしかったと言って二人と話せたことを喜んでいた。但し、最後に一つ、hpのライブ情報を更新していなかったことに対して、「これじゃあ、ライブ情報の意味がない」と、苦言のおまけ付きではあったけど。 喫茶室で僕らがコーヒーを飲んでいる間、トミーとひろこちゃんは、学生の頃一緒に活動していた仲間たちに電話やメールで今日決まった来年のイベントのことを連絡してくれていた。二人のパワフルな行動力にはほんと脱帽である。 トミーのお嬢ちゃんたちは、その間戸辺ちゃんと仲良く遊んでいた。それを見ていて僕は、戸辺ちゃんの新たな母性的な一面を垣間見た気がした。 アバンセを出たのは4時半頃だったろうか、トミーとひろこちゃんの車2分乗して佐賀駅に移動した。そして、改札口でひろこちゃんとトミーと二人のお嬢ちゃんに見送ってもらって、僕らは帰路に着くべく佐賀駅発17時1分の佐世保行き”みどり号”に乗り込んだのだった。 「ひろこちゃん、トミー、今日はありがとうね!」 (その4)に続く 2009年5月22日 |