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5.10さがストップ!プルサーマル人文字フェスタ(その1) はじめに このイベントへの参加が決まった後、予習教材としてリーダーから数冊の本が紹介された。しかしその時点で、前に二つライブが控えていたことと、他に読みかけていたミステリー小説があったため、ギターや歌の練習、推理小説の読書など、そちらを優先していたら、僕は教えてもらった本のことをすっかり忘れてしまっていた。 ところが、「なるこクラブ9周年祭」と「ながさき九条フェスタ」とゴールデンウイークが終った頃から、「少しプルサーマルについてオレも勉強しておこうかな」と、自分にしては珍しい予習の気持ちが起こってきた。 そこで、ギターと歌の練習に何とか目処がついた5月8日から僕は慌てて読書とインターネットでの学習を開始したのだった。 一夜漬けなので、当然たいした成果は得られなかったが、それでも学んだことを忘れてしまわないうちに、ここにレポ風にしてざっと書き留めておきたいと思う。 関心のない人や「そんなこと知ってるよ」という人はどうかスクロールさせて読み飛ばしてほしい。 原子力発電と核燃料とプルサーマルについて まず原子力発電だが、一言で言うと、核燃料を原子炉の中で燃やし、核分裂させて、それによって生じた熱エネルギーを使って電気を起こすシステムのことである。 これに用いられる核燃料は主にウランで、使用される原子炉は主に軽水炉と呼ばれるものである。 燃料のウラン(U)は、天然の鉱石から採取される金属元素である。但しこの天然ウラン、そのままでは核燃料としては不十分なため、濃縮という加工処理をしなくてはならない。 なぜかと言うと、ウランの中に、核分裂を起こすウラン235がわずか0.7パーセントくらいしか含まれていないからだ。残りの約99.3パーセントはウラン238で、これは核分裂を起こさない。だから、核分裂によって大きなエネルギーを得るためには、ウラン235の割合を高めてやる必要がある。その処理をウラン濃縮と言う。それによって取り出された高い濃度のウランが原子力発電の燃料となる濃縮ウランで、残った分、つまりウラン235の割合が限りなく0パーセントに近い状態に薄められたウランが劣化ウランである。 濃縮ウランは原子力発電所内の軽水炉で燃やされ電気を起こすためのエネルギーとなる。 使用済みの核燃料は、放射性廃棄物を多量に含んでいるため、そこでは処理できず、青森県の六ヶ所村にある高レベル放射性廃棄物処理場に運ばれ長期間保管されるか、あるいは同じく六ヶ所村の再処理工場に運ばれ、そこでウランやプルトニウムが抽出されて再び核燃料として蘇る。 一方、ウラン238の劣化ウランは、それ自体は核燃料にはならないが、高速中性子を衝突させることで、核分裂を起こす物質・プルトニウムへと変化する。 このようにして人工的に作り出されたプルトニウムだが、多量の放射線を含み、毒性がウランよりもはるかに強い為(角砂糖5個分で日本を全滅させることができるという説もあるくらいに)、一般の原子力発電所内の軽水炉では取り扱うことができず、高速増殖炉という特殊な原子炉で処理されることになる。 しかし、この高速増殖炉には安全面での問題点や事故も多く、作られても悉く閉鎖され、現時点でこれを行っている所は世界中に一箇所も無いという。現に日本でも、1995年に起こった”もんじゅ”の事故以来運転がストップしている。 参考までに、日本のプルトニウム保有量は、2005年末の時点で約43.8トンという。これは、核兵器を数千発作ることのできる量だそうである。しかも未だに六ヶ所村の再処理工場では生産が続けられているらしい。 こんな膨大な量のプルトニウム、高速増殖炉が使えないとなるといったい何処へ・・・ そこで近年試みられるようになってきたのが、プルトニウムを二酸化プルトニウムと二酸化ウランと混合させMOX燃料に加工して、一般の原子炉で燃やし発電を行うというもの。つまりこれがプルサーマル計画である。 しかし、上にも書いたように、例え加工したとはいえ、プルトニュウムには多量の放射能が含まれているので被曝の危険がどうしても伴ってくる。近々限界原発で実施される予定のプルサーマルに対して反対運動が起こっているのは、そのことが強く懸念されるからである。 【参考にした文献】 小出裕章著 「プルサーマルと核のごみ 【参考にしたサイト】 フリー百科事典[Wikipedia] 僕が予習したのはここまでで、プルサーマルの是非については当日会場に行っていろんな人の話を聞いてから考えようと思っていた。 5月10日 日曜日 初夏を思わせる五月晴れ 朝の8時10分頃、僕と評論家が電車を降りて佐賀駅の改札を抜けると、 「かちがらすファンクラブ佐賀支部長がお迎えに上がりました!」 と、目の前でいきなり女性の声がした。 あまりにも唐突だったので、僕は一瞬その言葉の意味を理解できず、「ええっ?」とクエスチョンマークを発したままフリーズしてしまった。きっと、相手にはさぞかしマヌケな表情に映ったことだろう。 「かちがらすファンクラブ佐賀支部長です。お迎えに上がりました!」 とリフレインされて、やっとどういうことなのか状況が飲み込めた。 「なるほど!そういうことか。」 次に疑問になるのがいったい目の前の女性が誰なのかということ。 「もしかして○○さん?」僕は尋ねた。 「いいえ、違います。」 「あっ、ごめんなさい!」 「ええ、じゃあ誰かなあ?おい評論家わかるか?」 「いやあぁ! 評論家も分からずに首をかしげている。 「ほらぁ、わたしです!」 僕は、高速で記憶の中の人名辞典をパラパラと捲って、一致する声の女性を検索する。 「うう〜ん???」 「わかりませんか?お二人よりもずっと若いお姉さんの・・・ ほら〜」 「お姉さんねえ??」 そんな若いお姉さんの知り合いなんて佐賀にはいないし・・・ そもそも、かちがらすにファンクラブなんてもの自体存在しない。 「いったい誰だろう?」 相手の女性は、僕らが分からずにいるのをまるで面白がっている様子だ。 「ほらぁ、お二人のよく知っている若いピッチピチノお姉さんですよ・・・」 このころになると、僕にはもうだいたい見当がついていた。 こういう問答を楽しむような女性の友だちは、ある一人を除いて他には思い当たらない。それに、ほんとに若いお姉さんなら、自分のことをそんな風に若いピチピチなどと形容したりはしない。 「若いって、僕らと二つしかちがわんやん!」 分かったという代わりに、僕はそのように答えた。 女性は、学生時代一緒にわたぼうしコンサートの活動をしていたウコンちゃん、改めひろこちゃんだったのだ。声のトーンは年齢相応に低くなっているけど、茶目っ気なところは高校生の頃とちっとも変わっていない。これは数時間後に再会することになるいづみちゃんやトミーに対しても共通して言えることだが、そういった昔と変わらない部分が、互いの間に存在するはずの時間の壁というものを一気に取り払ってくれるものなのだ。 「久しぶりやねぇ!また今日はどうしてここに?」 そう尋ねる僕らに、ひろこちゃんは経緯を掻い摘んで話してくれた。 数日前、リーダーから電話があって、ギターを娘が佐賀まで持って行くからしばらく預かってほしいと頼まれたのだそうだ。そして、イベント当日、会場の”どんどんどんの森”まで持ってきてほしいと。 それで、当日、つまり今日、会場まで運ぶついでに佐賀駅に寄って僕らを拾ってくれることにしたという訳なのだ。 「ワッチはね、幸松ちゃんたちを驚かせたいから、このことは何も話していないと電話で言ってたよ。」 「そうかぁ〜 と言うことは、俺達はまんまとリーダーの策略にハマッタってことか。どうりで・・・」 二日前、金曜日の夜に打ち合わせのため僕が電話した時、当日2本のギターをどうやって佐世保から佐賀まで運ぶつもりなのか尋ねても、「う〜ん」とか「大丈夫」とか「こちらで何とかするから」とか、あいまいに言葉を濁して全然教えてくれなかった。つまりその時点でこういうサプライズを目論んでいたのだ。 僕らの到着から遅れること10分、リーダーと戸辺ちゃんがこちらに向かって「おはよう!」と言いながら改札を抜けてやって来た。 これから皆で”どんどんどんの森”に移動することになる。車はひろこちゃんのパジェロが1台。その後部座席にはギターが2本積んである。まず、リーダーとギターを運んでから、後の3人をピストン輸送するということで話が決まった。 「僕はテッキリタクシーを使って移動するものとばかり思っていたから、ほんと助かったよひろこちゃん、ありがとうね。」 会場の”どんどんどんの森公園”に着いた時、時間は8時半を回っていたと思う。ステージではPAなどの準備が、その周囲ではブース用のテントの組み立て作業が行われていた。 僕らは、できるだけそれらの作業の邪魔にならないようにと、隣接するアバンセの建物の影に移動し、そこで練習をさせてもらうことにした。先週、先先週とライブが続いたため、今日のライブに向けての練習は(合同練習という意味だが)ほとんどやってないのだ。 ケースからギターを取り出し、チューニングをしてからすぐに練習に取りかかった。 この日ステージに立つのは僕とリーダーと戸辺ちゃんの3人。演奏するのは3曲、プラス1曲の4曲だ。そのプラス1曲は直前に決まったもので、これまで一度もやったことがない曲である。自宅練習すらも。 その曲の練習はひとまず脇に置いといて、先に最初から予定していた『平和と平等をあきらめない』『一本の鉛筆』『緑色の風』の3曲を一通り通して練習していった。 (その2)に続く 2009年5月15日 |