中川五郎 福岡風太 シルバーツアー2008(その1)


8月24日 日曜日 晴れ時々曇り

 この日のリーダーはいつも以上に緊張していた。
午前9時、指定された時間に僕がサンアビリティーの音楽室に一人で入って行くと、彼はまだブラインドの下がった薄暗い部屋の中で、壁際を行ったり来たり落ち着きなく歩き回っていた。
本人は白杖を立てかける場所を探しているのだと言うが、それにしては時間がかかりすぎる。
「えらい今日はソワソワしてるねえ!」
僕が尋ねると・・・
「中川五郎さんと共演するって思ったらなんか緊張してさ!」
彼の話によると、昨夜は3時間くらいしか寝てないらしい。今朝は4時頃目が覚めて、それからずっと興奮して眠れなかったと言う。
「ええっ、中川五郎って、リーダーにとってはそれほど偉大な存在なんだ!」
「そりゃそうさ、何と言っても中津川フォークジャンボリーの先駆者やけんね。オイにとっては神様みたいな人さ。」
「なるほど!」
中川五郎と言えば、『主婦のブルース』や『腰まで泥まみれ』や『受験生ブルース』などは僕も知っているが、作品を知っているという程度で、どういう活動をされてきた人なのかまでは知らない。
「ほかにね、外国本の翻訳なんかもされてるんだよ。」
「それ、リーダーは読んだことあるの?」
「うん、何冊かね!」
僕はリーダーが数年前から中川五郎さんのホームページの日記をずっと愛読していることも知っている。
「すごいね!」
この場合の僕の「すごいね!」は中川五郎さんに対してというよりも、リーダーのファンぶりに対してだったのだが・・・
一頻り中川五郎談義に花を咲かせて、僕らは練習に入った。

今日のかちがらすは僕とリーダーと戸辺ちゃんの3人で演奏することになっている。今年のライブは4本目になるが、前回の烏帽子岳での「えぼしんミュージック」から男二人(ギター2本)と女性ボーカル一人のスタイルを取っている。PPMならぬ、KKMってところだろうか。
でも、mのイニシャルを持つ戸辺ちゃんはまだ来ていない。リーダーが電話した時は、「少し遅れます」ということだったらしい。前例からして、早く見積もっても10時過ぎになるだろう。
とりあえず、戸辺ちゃん抜きでやっておこうということになり、この日演奏することになっている5曲を二人で練習していった。
5曲と言っても、そのうちの4曲はいつもやっているナンバーである。1〜2回合わせれば、飽きてしまって「もうこんなもんでいいやろ!」となる。なので、時間にしても40分とはかからない。
「じゃあさ、戸辺ちゃんもまだ来ないことだし、中川五郎さんの曲を何かやろうか!」
そう言って僕らは『腰まで泥まみれ』のギターコードを合わせた。そして歌った。
まさか、数時間後に中川五郎さん本人の前でこの歌を歌うことになろうとは・・・
その時点での僕らは、正直想像もしていなかった。

評論家とニャンコ姫がやってきたのは、ちょうどそんな時である。
二人も今日は同行してくれることになっているのだ。
「余裕やねえ!自分たちの歌は練習せんで・・・」
『平和と平等』じゃなくて、『ひとつぶの涙』でもなくて、『腰まで泥まみれ』を歌っているものだから、練習せずに遊んでいるように評論家には聞こえたのだろう。
「一通り練習を済ませて戸辺ちゃんが来るのを待ってるんだよ!」
その戸辺ちゃんが「ごめん、遅くなって!」と言いながら言い訳袋を抱えて部屋に入ってきたのは10時20分頃だった。
戸辺ちゃんに歌ってもらうのは2曲。『ひとつぶの涙』と『ひまわり咲くふるさと』である。
あとの2曲はもう済ませてあるので、それからの1時間はこの2曲を集中して練習した。
そして、練習の合間に、戸辺ちゃんにも中川五郎さんの歌を1曲は知っておいてもらった方がいいからと、『腰まで泥まみれ』を何度か歌って聞かせた。
歌詞があまりにも刺激的だったのだろう。戸辺ちゃんは「軍曹」とか「隊長」とか「進め!」とか「そんな弱気でどうするか 俺に付いてこい!」などと言った箇所を歌う度に、一々「すごかあ!」とか何とか驚きの声をあげながら聴いていた。
「この歌は、元々はピート・シーガーというアメリカのフォークシンガーの歌で、ベトナム戦争の時の、アメリカがベトナムを攻めて行った時のことを歌った歌なんです。それを中川五郎さんが日本語訳して歌っているんですよ。
リーダーが解説をする。
「この歌詞ってさ、今の時代にもどこか当てはまるよね!」
「そうですね。今でも、同じようなことがアメリカとイラクの間で起こっていますからね。だから、けっして過去の時代の歌って訳ではないんですよ。」
「なるほどねえ!」
僕もただ歌うのではなく、歌詞の中から世相を読み取る力をもっとつけないと。そう思いつつ、関心しながら僕はリーダーと戸辺ちゃんの会話を聞いていた。

音楽室を借りているのは12時までだそうだ。
これから今日のライブ会場のある吉井に移動しなくてはならない。
楽器やテーブルや椅子を片付けて、アビリティーを出たのは11時50分頃だった。

佐世保駅までタクシーで移動して、それから松浦鉄道を使って吉井まで行く。佐世保駅に着くと、ちょうどタイミングよく12時16分発の伊万里行きがあったのでそれに乗り込んだ。
列車に揺られ、吉井駅に着いたのは午後の1時5分頃だった。ホームに降り立つと、何処からともなくこの時期にしては涼しく爽やかな風が吹いてきて、その風の薫りと静かな街の雰囲気に何だか懐かしさを感じる。この町に来るのはいったい何年ぶりだろう?記憶によるとたしか2003年の吉井北小学校コンサート以来だ。
僕ら以外にもう一人、ギターを抱えて列車から降りてきた男の人がいるらしい。
「もしかして、中川五郎さんのライブに行かれるんですか?」
戸辺ちゃんが尋ねている。
相手も、ギターを抱えた僕らを列車の中で見かけて、同じように思っていたという。
その人はHaruさん"と言って、今日のコンサートに出演する為にわざわざ奈良から遥遥佐世保まで新幹線と電車を乗り継いでやってきたのだそうだ。
Haruさんと話をしながら、しばらく待っていると、間もなく町豪太さんがワンボックスカーで迎えにきてくれた。
「やあ、みんなお待たせ!」

 町豪太さんは、今回のコンサートを企画した相浦フォーク基地のメンバーである。先月、佐世保の烏帽子岳で行われたイベント「えぼしんミュージック」で一緒になって、その時に「来月、中川五郎さんを呼んでライブをするんだけど君たちも出演しないか・」と声をかけていただいたのだ。
豪太さん自身もフォークシンガーで、本業の傍ら、ライブをしながら全国あちこちを回っているのだという。
僕が豪太さんの歌を始めて聴いたのは、昨年伊万里のライブハウス「とんがりぼうし」に一人で歌いに行った時だった。その時は町豪太ではなく別の名前で出演されていたが、その超個性的な歌声がずっと耳に強く残っていて、えぼしんミュージックのステージで豪太さんの歌声を聴いた瞬間、「おう、ブーニーさんではないか。こんな場所で再びブーニーさんの歌を聴けるなんて・・・」と僕は感動したのだった。
そんな豪太さんの誘いである。しかも中川五郎さんとの共演とあらば、拒む理由などない。リーダーも僕も二つ返事でその依頼を受けて、この日を迎えたという訳だ。

 吉井駅から会場のあるオハシ観音公園までは車で5分とかからない。
車を発進させながら豪太さんが「五郎さんはもう来てるよ」と教えてくれた。
いよいよ中川五郎さんとの対面である。
リーダーの心中はいかほどだろう?

(その2)に続く。

2008年9月4日



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