長崎研修旅行 2日目(前編)


 ホテルのベッドで目覚めた時、軽い頭痛がしていた。昨夜のワインが残っているのだろう。時計を見ると8時を少し回っていた。
今朝方ホテルに戻ってきたのが3時半頃だったから、4時間余りしか寝てないことになる。
7時から9時までの間なら朝食(トーストとコーヒー)の無料サービスを受けられるそうだが、みんな昨夜の調子なら、とても朝食なんて取る気にはならないだろう。現に僕自身がそうだった。
でも、1度目が覚めてしまうとなかなか眠れない。僕は枕元のスイッチを押してラジオをつけた。FM放送だろう、静かなハワイアン系の音楽が流れていた。その音楽を聴いていると、心地良くなって再び夢の中に意識が吸い込まれて行くようだった。
 9時になって番組が切り替わり、パーソナリティーの南こうせつさんの明るい声が聴こえてきた。
「週末はログハウスで!」
この番組は、毎週日曜日の朝に民報のFM局でオンエアーされている1時間番組である。今回は、先日行われた広島での「かぐや姫・平和のためのコンサート」の模様を特集するという。そして、オープニングの『22歳の別れ』が鳴り始めた。僕の頭は一瞬にして覚醒した。
「これはもう僕一人だけで聴くのはもったいない!」
急いで枕元の電話機の受話器を取って、リーダーの部屋の内線番号をプッシュした。
リーダーは予想どおりまだ寝ていた。「こんな早い時間にいったい何事だ」と言わんばかりの少し不機嫌な声で電話に出た。
僕は、今始まったばかりのラジオ番組のことを急いで説明して、それを聴くための操作を教えてあげた。
楠林さんは昨日の長距離運転でお疲れだろうから、まだ寝かせておくべきだと判断して、次に用務員の部屋番号をプッシュした。
1回発信音を鳴らしただけで用務員は電話に出た。もうすでに起きていて、その番組を聴いていたという。
「じゃあ後は評論家だけだな。」
そう僕が言うと、「評論家の部屋は隣だから俺が教えに行ってあげるよ」と言ってくれた。
それからの1時間、僕はベッドに横になったままで、かぐや姫のなつかしい歌の数々を聴きながら過ごした。
 10時に番組は終わる。そのあと僕は、昨日からの疲れを洗い流しさっぱりすべくシャワーを浴びた。軽い二日酔いくらいならシャワーだけで充分である。このころには頭痛もほとんど感じなくなっていた。
二日酔いと言えば、あいつはどうしているだろう?
ふと気になって評論家の部屋に電話をかけてみた。何度鳴らしても応答がない。
そこで、評論家の隣室の用務員に様子を尋ねてみた。
「さっき電話をしたところ、かなりつらそうだったよ」
「やはりそうか、あいつ昨夜そうとう飲んでいたみたいだったからなあ。」
しかたないのでもうしばらく寝かせておくことにして、僕はリーダーとチェックアウトの時間などについて打ち合わせた。
ホテルのチェックアウトのタイムリミットは11時だそうである。ということはあと1時間しかない。
10時20分頃、楠林さんに電話を入れてみた。思ったよりも元気そうだった。昨夜のアルコールの影響は全く残っていないという。
10時45分頃に出ましょうと打ち合わせて電話を切った。
後は評論家である。電話をかけてみるがやはり応答がない。
そこで、再び用務員に、直接部屋を見に行ってくれるよう頼んだ。だんだん僕の心配は募っていく。
そんな時、僕の部屋の電話がなった。評論家からだった。
シャワーを浴びていて電話が聴こえなかったのだという。僕が「大丈夫か?」と尋ねると、「いやっ大丈夫じゃない」といかにもつらそうな声で応えた。頭痛と吐き気が強くてかなりしんどいと。
でも、このホテルは11時までにチェックアウトしないといけないから、とりあえず10時45分頃までに出られるように準備しておいてねと告げた。
こうやって、僕らの長崎研修旅行の第2日目は始まったのである。

8月21日 日曜日 快晴


 チェックアウトを済ませてエレベーターで駐車場のある1階に降り、ホテルの外に出てみると、昨日の雨がまるでうそのように空は晴れ渡り、夏の陽射しがまぶしく照りつけていた。観光をするには絶好の日和である。
評論家を助手席に、リーダーと用務員と僕が後部座席にという配置で、僕らは楠林さんのブルーバードに乗り込んだ。最初の目的地は一本足鳥居のある山王神社である。
その前に少し腹ごしらえをしておこうと言うことになり、途中のコンビニに寄ってサンドイッチとコーヒー牛乳を調達した。そして車の中で食べた。
もちろん、評論家はそれどころではない。まだかなり具合が悪そうである。そこで評論家には二日酔いによく効くからと言って、そるマックというドリンクを楠林さんが買ってきてくれた。
用務員だが、彼はちゃっかり自分一人でホテルのモーニングをいただきに行ったらしく、「俺は朝トーストとコーヒーを飲んだから」と言って何も注文しなかった。

 山王神社は浦上にある。ホテル・カンタービレからは、途中寄り道をしなければ5分くらいで行ける距離に思えた。 陽のあたらない日陰に車を止めて、評論家を一人残して、僕らは参拝すべく車外に出た。周囲で油蝉が賑やかに鳴いていた。
この神社の参道には元々4本の鳥居が立っていたらしい。ところが、1945年(昭和20年)8月9日に投下された原子爆弾により、三の鳥居と四の鳥居が跡形もなく吹き飛ばされ、一の鳥居と二の鳥居の右半分だけが残ったそうである。
ところが一の鳥居は戦後交通事故で倒壊したとやらで、現在は二の鳥居だけが片足で痛々しく立っている。
リーダーはこの鳥居に特別な思い入れがあるのか、柱を触ったり、楠林さんに「どういう形で残っているのか」など詳しく尋ねたりしていた。僕はデジカメを持っていたので写真も撮ってもらった。
境内に向かって参道の階段を上っていくと、ちょうど境内の入り口の左右に大きな2本の楠木があった。
樹齢はおおよそ500年で、一方は幹周りが8メートル、もう一方は6メートルもあるという。この楠木も被爆して一時は枯れ木同然にまでなっていたそうだが、盛り返して今では立派な枝と葉を茂らせている。
「すごい生命力だよねえ!」
説明書きを楠林さんに読んでもらいながら僕らは感心した。
幹の所には平和を祈願してか、いくつか千羽鶴がお供えしてある。僕らはここでも、その千羽鶴の横に立って、楠林さんに写真を撮ってもらった。
そして境内まで進んで行って、僕らもそこで手を合わせて平和を祈った。
帰り道、上って行く時は気付かなかったが、参道の途中の広場に公民館らしい建物があって、その前で婦人会の方々と思える女の人たちが参拝者に冷たく冷えたお茶を紙コップで振る舞ってくれていた。
そのお茶の美味しかったことと言ったら、もう文字なんかでは表現しようがない。
楠木から分けてもらった神聖なエネルギーが冷たい液体となって身体に染み渡っていく。なんかそんな感じがした。
「ああこのお茶、評論家にも飲ませてあげたいなあ!」そう思った。
これを飲めば、二日酔いの症状も和らぐかもしれない。でも、まさか余分にくださいなんて言うわけにもいかないし。
「美味しいお茶をありがとうございました。」
お礼を言って僕らは参道の階段を下りて、再び一本足鳥居の脇を通って、評論家の待つ車へと戻った。評論家は助手席でぐっすり眠り込んでいるようだった。

 次の行き先は原爆資料館である。山王神社から原爆資料館までも5分くらいで着いた。
ところが、駐車場には全く日陰がないという。こんな所で評論家を一人車内に残しておいたら、間違いなくカラカラに干からびてしまう。評論家には少し頑張ってもらって資料館の中まで一緒に来てもらうことにした。
中に入れば冷房も効いているだろうし、休憩できるくらいのソファーもあるだろう。そう言って励ましながら、エレベーターで地下1階に降りて、受け付けに尋ねてみると、係の女性が「1階に休護室がありますから、そこでお休みになってはいかがですか?」と親切に教えてくれた。
僕らは階段を上って事務室の隣にある休護室に入り、係の人と思われるお姉さんに事情を簡単に説明して、しばらく横になって休ませてもらうようにお願いした。
その際、お姉さんに過剰な心配をかけないように、ただの二日酔いであることもちゃんと伝えておいた。
それから僕らは地下に戻り、資料館の展示室の中をゆっくりと見学して回った。

中編に続く。

2005年8月29日



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