長崎研修旅行 1日目(後編)



 「王鶴」から「田舎」までは思っていたよりもずいぶん近かった。僕らは長崎の地理を全く知らないので、ちょっと遠回りをしてしまったが、最短距離で歩けば、おそらく3分くらいで行けるだろう。タクシーの運転手さんには場所の条件は何も言ってなかったのに、まさかこんな至近距離で食事場所を探してもらえるとは、偶然とは言えほんとラッキーだった。
「もうこれで次からのコースは決まったね。」
そう言いながら僕らは昨年と同じ場所、浜ノ町の浜屋デパートと道路を隔てて向かい側にあるパチンコ屋さんの前で梅さんを待った。
「相変わらず変りばえのしないメンバーだねえ」
電話を入れて2分後、そう言いながら梅さんは傘を持って僕らの前に現れた。
もう梅さんとはずいぶん親しくなっているので、前回のような畏まった挨拶なんかは必要ない。
雨の中僕らは梅さんに誘導してもらいながら狭い路地を歩いて行って、雑居ビルの急な階段を上って、入り口で靴を脱いで、なつかしい「田舎」の店内へと入って行った。
 通されたのは去年と同じ一番奥のテーブル。きっと僕らのためにわざわざ空けてくださっていたのだろう。他のテーブルやカウンターはお客でいっぱいのようだった。
席に腰を下ろすと、昨年と同じように飲み物の希望を尋ねられた。とりあえず、最初は飲みやすい白の方がいいだろうということで、ドイツのブラックタワーという白ワインを開けてもらって、みんなで乾杯した。
梅さんに今年秋に計画している「かちがらす25周年イベント」のあらましをお話しして、改めて出演をお願いした。
「もちろん、喜んで!」
「ありがとうございます!」
それから後は、当日どんな歌を歌うかなど具体的に話を煮詰めていった。
その内容についてはまだここで書くわけにはいかないが。
アルコールが入ってくると、座は砕けてくる。梅さんはカウンターに引っ込み、入れ替わりに、れいさんこと阿部礼三さんが僕らの席にやってきた。れいさんとは昨年のドングリ村ライブの時に一言二言挨拶を交わしただけで、ほとんど初対面に近いはずなのだが、個人的に何度かメールや掲示板でお話ししたことがあったからか、僕には全くそんな感じはしなかった。
店に置いてあるKヤイリのガットギターを借りて『禁じられた遊び』の弾き方を教えてもらったり、一緒になつかしいフォークソングやサイモンとガーファンクルの歌を歌ったり、これまで「田舎」を訪れたいろんなミュージシャンの話を聞かせてもらったりした。
また、僕がれいさんの歌で大好きな『神様が住んでいた頃』の誕生秘話なんかも聞くことができた。
 れいさんに代わって次に僕らの席にやってきたのは、マンボーさんこと、藤城かおるさん。マンボーさんは、長崎のタウン誌の記者で、昨年僕らはこの場所で取材を受けたのでよく知っている。マンボーさんもれいさん同様長崎で活動されているフォークシンガーである。マンボーさんともフォークソングの話をしたり、一緒に歌ったりしたと思う。
どうも僕はこの頃から少しずつ酔いが回ってきていたようである。ワインは白から赤に変わり、それに連動して僕の記憶の信号も赤が点灯し始めている。
そこで、ここから先の描写は用務員に聞いた話を織り交ぜながら書いていくことにする。
 僕はギターを抱えるとどうもブレーキが利かなくなるらしい。次から次に話題に上がってくるフォークソングをれいさんやマンボーさん、他のお客さんたちと一緒に歌ったり、リクエストに応えたりしていた。もちろん、オリジナル曲の『約束』や『フォーク喫茶』も歌わせてもらった。
不思議なもので、酔っぱらうと、若い頃に聴いたフォークソングはちゃんと歌えるのに、オリジナル曲は歌詞が出てこない。この現象は、れいさんやマンボーさんも同じみたいで、「ほら、一緒じゃないですか!」と思わず笑ってしまった。
リーダーと用務員は、僕らのテーブルに代わるがわるやってくる梅さん、れいさん、マンボーさんと、マニアックなフォーク談義に花を咲かせたり、ある歌の歌詞の意味の解釈について論じ合ったりしていた。
同じフォーク系の詩人として共感できる部分が多いのか、リーダーは梅さんの弾き語りを聴いて、その歌詞の世界にとても心引かれているようだった。
普段はアルコールは一切受け付けないはずの用務員も、なぜかこの「田舎」にくると僕らと一緒になってワインをなめる。昨年はワイングラス3分の2と言っていたのに、今年は1杯半も飲んだらしい。これは僕に言わせれば、野生のイノシシがギターを抱えて繁華街でストリートライブをやっていると同じくらいに奇跡的なことなのだ。
評論家はと言うと、ワインから芋焼酎に切り替えて、しかも生地で、「今夜は焼酎が進むなあ!」などと言いながらそれを何倍もおかわりして胃の腑に注ぎ込んでいた。
そして、トイレに立った帰りに聴いた青木まりこさんのアルバムの中の『別れのうた』が坂庭しょうごさんを思い出させたらしく、席に戻ってからずっと感傷に耽っていた。
楠林さんは、やはりワインをチビリチビリ飲みながら、梅さんと今夜偶然に分かった、共通の友人の話題で盛り上がっていた。
阿曽から佐賀、佐世保を経由して長崎まで長距離を運転してきた疲れもきっとあったのだろう。楠林さんは途中から、と言っても最後の方だけど、横になって熟睡しているようだった。
 このようにして楽しい時間を過ごし、僕らが店を出たのは、なんと午前3時。梅さんとスタッフの女の子・ジュリさんに見送ってもらって僕らは2台のタクシーに乗り込んだ。そして、ホテル・カンタービレに戻ってきた。
実を言うと、ホテルの予約は僕がインターネットで行ったのだが、予約するに当ってリーダーが出した絶対条件は「門限がないこと」だった。おそらくリーダーは遅くなることを見越していたのだろう。それにしても午前3時とは、えらい長居をしたものである。確か入ったのは10時前だったから、5時間余りも居座っていたことになる。その間ギターを弾いて何曲も歌ったり、大声でしゃべったり、もしかしたら他のお客さんに迷惑をかけてしまっているかもしれない。にもかかわらず、「田舎」の人たちはみんなとても暖かくて、心から歓迎してくださっているように感じた。だからこそ、みんな居心地が良くてあんなに長居してしまったのだと思う。
これも後になって考えたことなのだが、マスターの梅さんは僕らが来るということで、急遽れいさんやマンボーさんを呼び寄せられたのではないだろうか。僕らのテーブルには常に3人のうちの誰かがついてくださっていた。僕がそれとなく尋ねた時、マンボーさんは否定されていたが、きっとそうに違いないと僕は思っている。
本当に梅さんお世話になりました。そして、れいさん、マンボーさん、楽しい時間をありがとうございました。

2005年8月26日


長崎研修旅行 二日目に続く。

日誌のページに戻る