御厨中学校人権集会 (コンサート当日 その2)


 2曲目は『一粒の涙』。オープニングは2曲続けてやるから、1曲目が終わったらすぐに次の曲を始めてほしいとリーダーから言われていた。なので僕はすかさずカウントを取って歌に入った。この歌はいきなりサビの部分のコーラスから始まる。ジョージが主旋を歌い、それに僕が3度上でハモる。ギターは、4小節までは各小節の頭1拍めだけに軽く四分音符でジャランとコードを鳴らし、5小節目のB7からアルペジオを入れることにしている。なぜかと言うと、4小節まではギターが聴こえなくても容易に音が取れるからだ。
最初カウントを取って4小節くらいまでは普通に歌っていた。ところが、5小節目にギターでアルペジオを弾いた時、歌のキーとギターの音が合ってないことに気づいた。
「えっ、何なんだこれは?」
今更もう修正は効かない。止めてやり直すのも格好悪い。
「よぉし、このまま行っちゃえ!」
どうせAメロに入ってピアノやマンドリンが加わってくれば、何事もなかったように自然に修正されるはずだから。実際そのとおりになった。ヤレヤレである。
でも、未だに分からない。あの不協和音は何が原因だったのか?ジョージと僕のハーモニーは合っていたようにも思うが、「確かか?」と問われれば自信はない。一番考えられるのは、1曲目の『ふるさとが好きだから』のキーであるCシャープの余韻をそのまま2曲目の『一粒の涙』に持ち越してしまったというケースである。その点は
リーダーも練習の時から心配していて、「大丈夫か?」と何度も念を押されていた。練習の時はうまく行っていても、本番でしくじったと言う可能性だってある。
こういう思わぬハプニングがあるからライブは面白いとも言えるのだが、バックで演奏しているメンバーはハラハラしていたに違いない。
それにしても不思議な一幕だった。

 これまでの僕なら、こういうハプニングがあれば、それをしばらくは引きずってしまっていただろう。しかし今回は違った。
「大丈夫!これからちゃんと挽回してみせるから。」
そう思えたのは、きっとバックに楠林さんがついていてくれたからに他ならない。
以前も書いたと思うが、楠林さんが居てくれるだけで、僕らは大船に乗った心地で安心して演奏ができるのだ。
案の定、3曲目の『昔僕らは海にいた』は、とても気持ち良く歌うことができた。

 4曲目の『Names』に入る前のMCの時に、僕のすぐ右横に立っていたジョージが突然「ああ、歌詞が出てこん!」とSOSを送ってきた。
「ねえ、エイズに生きたしるし」の後何だったっけ?」
ちょうどリーダーが冗句を言って、会場のみんなの注目をそちらに集めてくれていた時だったので、誰にも気づかれずにこっそり教えてあげることができたが、この時も内心肝を冷やした。
僕はあまりやらないのだが、ジョージも用務員も歌う前に歌詞を心の中で暗唱しているみたいだ。だからまだ歌ってもいないのに、「あれっ、歌詞が出てこん!」なんてことが起こってしまうのだろう。「歌詞なんて曲の流れ、つまりメロディーに乗っかって自然と口から出てくるものではないのか?」と、僕は思ってしまうのだが。
そういうハプニングなんてまるでなかったかのように、平然とジョージは『Names』をジョージに、じゃなくて上手に歌い上げた。「お疲れさん!」

 5曲目は『美しい涙』。流れるような楠林さんのピアノのアルペジオ。これは圧巻である。このピアノを聴いてもらいたくてリーダーは『美しい涙』をプログラムに入れたのだ。ギターもリーダーと評論家、二人の純アコに任せ、僕はマイクを握ってコーラスに専念した。自分で言うのもおかしいが、けっこう良い感じでハモれていたと思う。

 6曲目は『Kindness』で、7曲目は『傷ついた心の君へ』。この2曲はピアノは入らず、僕とリーダー、ギター2本の演奏となる。『傷ついた心の君へ』で僕が1ヶ所歌詞を間違えたものの、それ以外は目立ったミスもなく普段どおりの演奏ができた。

 8曲目は、いよいよクライマックス。『小さな島の片隅から』である。この頃にはもう、子どもたちの気持ちと僕らの気持ちがかなり近づいていたんじゃないか、そんな気がする。
ステージと客席との間には距離があるし、僕らには子どもたちの顔の表情は分からないが、館内の空気が、最初のそれとは明らかに違っていると感じた。
いつも言ってることだが、この歌には僕らの伝えたいメッセージが集約されている。歌っていると、歌詞の一言一言に現在社会で起こっている様々な出来事がオーバーラップしてきて、自然と気持ちが入って行く。僕は精一杯の思いを込めて『この小さな島の片隅から』を歌った。
子どもたちもきっと、CDで聴く音楽と生で聴く音楽との違いを体感してくれたのではないかと思う。そして、かちがらすの歌から何かを感じ取ってくれたはずだと。

 最後の曲は『翼をください』。学習部のみんなもステージに上がってくれて、全員での大合唱となった。いつもそうなのだが、こういう、全員の心が一つになれた時に、僕は生の音楽の素晴らしさを実感する。この感動こそが、僕らにとっても明日の活力源となるのだ。

 コンサートが終わり、再びパートナーに誘導してもらって僕らはステージを降りた。その間も生徒さんたちは席に座ったままで閉会を待っていたらしいのだが、ライブを終えた安堵感から僕らはそのことに気づかず、控え場所でちょっと大きな声を出して騒いでしまった。
戸辺ちゃんに注意されてすぐに気づいたものの、皆がずっと注目していたのかと思うと、恥ずかしくて赤面してしまう。
要するに、最後の最後まで気を抜いてはいけないって教訓なのだ(反省)。

 人権集会が閉会した後で、校長先生と田中先生が僕らの所にわざわざ挨拶に来てくださった。
これから皆に各教室に戻って感想文を書かせることになっているという。
はたして、どんな感想が寄せられるのやら、僕らとしても楽しみである。

【ちょっとおまけの話】
  田中先生が僕の所に来て「今日もヤイリは良い音してましたね!」と僕のギターを褒めてくださった。
行く先々で注目を浴びるのは、いつも評論家のマーチンとリーダーのギブソンばかりなので、その言葉はものすごく嬉しかった。
「やはり先生、あなた様は只者ではござんせんねっ!」

 荷物を運び出して体育館の外に出たのは3時半過ぎだった。沖津さんはまっすぐ佐世保に帰るという。なので、残り8人、楠林さんと美代ちゃんの車に分乗して、食事に行くことになった。
そのことを詳しく書くと、このレポは期限までに終わらなくなってしまうのではしょらせてもらうが、帰りの道中もいろんなことがあってとても楽しかった。

 スエ(末永くん)という、学生時代一緒に「わたぼうしコンサート」の活動をしていた友人が、24年ぶりに帰郷して家に居ると聞いていたので、せっかく松浦まで来たんだからちょっと顔でも見て行こうということになり、彼の家を8人で訪問した。
24年ぶりに会ったスエは、外見こそおじさんになっていたものの、キャラは相変わらずで、昔のエピソードを持ち出したりして僕らを笑わせてくれた。
「久しぶりにスエの歌を聴かせてよ。ちょうどギターも持ってきているし。」そう言って玄関口でギターを弾いて一緒に歌ったりもした。家族の方はさぞ驚かれたことだろう。
こういうことができるのも「かちがらす」だからかもしれない。

 その後に行ったのは、伊万里の「とんがりぼうし」という喫茶店。ここで僕らはコンサートの打ち上げを兼ねて夕食を取った。
1時間余り居ただろうか、食事を終えて外に出た時にはもう辺りは真っ暗で、傘が必要なくらいに雨が降っていた。腕時計を見るとすでに8時になろうとしていた。
ここから2台の車は分かれることになる。佐世保組は楠林さんの車、佐賀組は美代ちゃんの車という風に。
「今日はどうもありがとうね!」
そう挨拶を交わし、僕らは2台の車に分かれて乗り込み、それぞれの帰路についた。

 参考までに帰宅時間を大まかに書いておくと、僕は8時30分頃、評論家は9時過ぎ、ジョージは10時頃、美代ちゃんは11時頃、佐世保の戸辺ちゃんとリーダーは9時30分前後、ニャンコさんは11時30分頃、そして楠林さんはなんと翌日の明け方になったそうである。どうもお疲れ様でした」

おわりに

 今回、楠林さんをはじめ、戸辺ちゃん、美代ちゃん、ニャンコさん、PAの沖津さん、いずれも僕らのサポートをするために、平日であるにも関わらず、わざわざ仕事をやり繰りして、休みを取って参加してくれた。
以前も書いたと思うが、今の僕らに誇るべきものがあるとしたら、それはこうやって労を惜しまずサポートをしてくれる心優しい仲間たちであろう。
振り返ってみると、この2日間、僕らはただ練習をして、ステージに立って演奏しただけで、それ以外の、移動の介助、楽器やPA機材の運びいれと運搬、ステージのセッティング、食料の買出し、全て周りのサポートメンバーがやってくれた。
これらの好意に僕らは甘んじるばかりではいけないのではないか。感謝の気持ちを何らかの形にしなくては。
長いことサボっていたライブレポを久しぶりに書いてみようと思い立った一つの理由はそこにある。
こんなつたない文章では十分に届かないかもしれないけど、心から感謝を込めて・・・
皆さん、本当にありがとう。
これに懲りず、また来年もよろしくお願いしますね。

2007年12月20日



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