アコギ評論家とギターとの出会い


おそらく、小学2 3年生の頃だったと思います。
隣に遊びに行ってたんですが、そこの部屋の一角にクラッシックギターが立てかけてあって、こっそり触っていたのが最初だったと思います。
何も知らないまま、何となくドレミファソラシドを探したりしていたことを覚えています。
でも、本当にギターヲ目にしたのがいつだったのかは不明です。何たって、保育園の頃に柄の短い箒をギター代わりにして遊んでいた記憶がありますから!
実は、いまは亡き祖母の話ではもっと前からで、何でも、電柱を縛ってあった番線を使っていたとか!二重になってた番線を開くと、ちょうどギターみたいになるからだろうと聞いたことがありました。
また、これを書くに当たり、家人にもいろいろ聞いてみましたが、何せ昔の話でもあり、明確な回答は獲られませんでした。
まあそれはともかく、何らかのきっかけがあったとおもいますが、今となっては確認のしようがありません。

本格的にというほどではありませんが、ギターを弾き始めたのが中1の時で、学校でギタークラブに席を置いたのが始まりでした。コードを教えられ、部員と一緒にポロンポロンポロンポロン!
ある程度コードチェンジが出来るようになると、顧問の先生から曲を弾いてもいいよって言われ、最初に選曲したのが、吉田拓郎の「隣の町のお嬢さん」でした。
今にして思えば、何ともまあ無謀なことか!!

そう言えば、イターを引出した頃に、子供の時に探した音階が正しかったことがわかり、本と うそっって感じでした。
うううん、もしかしたら天才だったのかもしれない!
まさかまさか、そんなことがあるわけないか!

その後、中学2年から盲学校に入り、アコギを弾き始めたメンバーの面々と出会うことになったのでありました。
当時からバンドを組んでいたわけではありませんが、その頃は先輩のアコギを弾かせてもらいながら、主にかぐや姫の曲を弾いていました。
更に中学3年の春 親にねだり、晴れて自分のアコギを手にすることができたのでありました。
ちなみに、その時に手にしたアコギはモーリスのW/50でした。材木はよく覚えていないのですが、おそらく、
  トップ スプルース
  サイド マホガニーまたはローズウッド
  バック マホガニーとメープル、またはローズウッドのスリーピース
  ネック マホガニー
  指板・ブリッジ ローズウッド
だったと思います。
ボディーの色はナチュラルで、バックのスリーピースの部分は、中央の幅がわりと広かったような気がします。
音色的には高音域がやや優勢で、低音域はもう少し欲しかったかなぁって感じでしょうか!
そうそうあの頃のアコギは、どのギターも隅々まで気を配ってあり、1本1本本と丁寧に作ってあったように思います。

うううん、懐かしいなぁ!

以上で、アコースティックギター評論家とギターとの出会いを終わりたいと思います。
最後までお読み下さり、大変有難うございました。
最後になりましたが、ご意見・ご指摘・ご感想など、メール、あるいは談話室でお聞かせ頂ければ幸いに存じます。

2006年10月18日



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