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北海道の大地震〜ペンフレンド・YHさんの思い出 9月26日 金曜日 晴れ 今日北海道で、震度6弱という大きな地震があった。NHKのラジオでは、朝から特番でずっとそのニュースを報じていた。 僕はこの北海道という地名を聞くと、条件反射のように以前文通していたYHさんという女の子のことを思い出す。 二十歳の頃だった。盲学校の学生だった僕の所に1通の手紙が送られてきた。差出人の名前を見ると、僕には全く覚えがない女性からのものである。住所は北海道となっていた。 彼女は当時確か中学生か高校生だったと思う。 地元で「わたぼうしコンサート」を見に行って、そこで聴いた「明日天気になれ」という歌に共感して、その作詞者である僕に手紙を書いたのだと言う。 ものすごく嬉しかった。僕は早速返事を出そうと思った。しかし当時の僕には、鉛筆で便箋の行に字を書き込むだけの視力がなかった。そこで僕は一つの賭けに出ることにした。 点字で返事を書き、その点字の手紙に「点字のしおり」という小さな冊子を添えて送ったのだ。たとえ読んでもらえなくてもいい。僕の誠意のかけらくらいは届くだろう。今思えば、あまりにも傲慢な行為だったような気がするけど。 それから1ヶ月も経っただろうか、彼女から返事が来た。しおりと照らし合わせながら僕の手紙を必至に解読してくれたのである。 このことがきっかけで僕らの文通は始まった。 僕は点字で書き、彼女は僕の視力に配慮して、大きく濃い文字を書いてくれていた。 僕らは手紙で日々のいろんな話をした。友だちのこと、クラブ活動のこと、恋愛のこと、それに音楽のこと。 お互いの写真を交換したり、かちがらすの歌のカセットテープを送ってあげたりもした。 そうやって、僕らの文通は、僕が北九州に就職した後もしばらく続いた。 就職した当時、僕の日常は希望よりも失望の方が多くて、しょっちゅう落ち込んでいた。そんな僕の気持ちが手紙の文面にも表れていたのか彼女は僕をいつも励ましてくれた。事実、彼女の手紙に僕はずいぶん癒されていた。 ある日、僕の職場の寮に彼女から電話がかかってきた。ところがその日、ちょうど僕は外出をしていて、話をすることができなかった。その後の彼女の手紙によると、修学旅行先の東京のホテルから電話をしたのだそうだ。 きっと彼女にしてみればものすごく勇気のいる行動だったに違いない。東京と九州、北海道からすればずいぶん近いとは言え、電話代だってばかにならない。限られているわずかなお小遣いを削ってわざわざ僕に電話してくれたのだ。それほどまでに・・・。 僕はすぐにでも折り返し電話すべきだった。例え北海道の彼女の家にまででも。そして「ありがとう!」の一言を言うべきだった。 なぜあの時そうしなかったのか、今となってみればよくわからない。電話代を持っていなかったのか、気持ち的に余裕がなかったのか。それとも恥ずかしかったのか。いずれにしても正当な理由ではなかったことには変わりない。 それ以後、僕らの文通は自然と途絶えて行った。 こうして、あの頃のことを思い出す度に、僕の心はたまらなく痛む。僕からの手紙を読むために必至に点字を覚えてくれた彼女。落ち込んでいる時に励ましてくれた彼女。近くに来たからと行って(実際はそれほど近くではなかったのだけれど)修学旅行先からわざわざ電話をくれた彼女。僕はそんな彼女の優しい心を自分の身勝手な都合で傷つけてしまったのではないかという気がしてならない。 今でも僕は遠い記憶の中に、彼女の手紙の便箋に書かれていた女の子らしい丸っこい文字を、うっすらとではあるが思い出すことができる。 あれから20年、彼女は今頃どうしているのだろうか。 僕は今、北海道の地震のニュースを聴きながら、この災害が彼女の所に及ばないことをただただ祈るばかりである。 【追伸】 いつだったか、やはり何かの拍子に彼女のことをふっと思い出して、インターネットで北海道と彼女の名前を入力して検索してみたことがあった。ネット上ででも再会できればと、わずかな希望を託したのである。ネットで出会う確立なんて無いに等しいのに。ただ、僕らかちがらすが今よりも100倍有名になれば話は別だろうけど・・・。 2003年9月26日 |