「音楽時代屋伝説LIVE vol.6 in 佐賀どんぐり村 (その3)


 結局ライブは、予定の終演時間を1時間くらい超過して、5時30分頃に幕を下ろした。
つまり5時間余りに渡って行われたことになる。
このホールは350人収容できると聞いていたが、はたしてどのくらいのお客さんが入っていたのやら、僕にはまるで見当がつかない。

 控え室に戻ったら、僕は昼間飲み損なったビールがむしょうに飲みたくなった。張り詰めていた緊張の糸が緩んだせいだろう。
しかし、もうホール内の売店は閉まっていて、ビールは手に入らないという。
残念に思っているところにタイミング良く梅さんが・・・
「ワインでいいならあるよ!」
そう言って、紙コップにワインを注いでくださった。
そのワインの美味しかったこと。まるで身体からスウーッとこれまでの疲れが抜けていく感じがして、この日初めて冗談の一つも言ってみようかなという気分になった。
「梅さん、どうもご馳走さまでした!」
 それから、マンボウさんや原口純子さん、純子さんの娘さんと少し言葉を交わした。
原口純子さんのギターテクニックにすっかり魅了されてしまっていた評論家は、自慢の名刺を差し出して、それをきっかけに手の指を触らせてもらっていた。実は僕もだけどね。
あっそうそう、これだけは言っておきます。
「純子さん、あのピックは僕からなんですよ!けっしてギター評論家からではありませんのでくれぐれもおまちがいなく。」
な〜んて、ほんとうはそんなことどうでもいいんですけど。

「ホールの館長さんが、今日のコンサートすごく良かったので、ぜひ秋にもまたやってほしいとおっしゃっています。」
との報告が梅さんからあった。
今度は、どんぐり村側でも宣伝など、全面的にバックアップをしてくださるそうだ。
「また秋にもこのメンバーでやりましょう!」
と、早くもその場で話が盛り上がっていた。
僕はその時、ライブが無事成功に終わったことを実感した。そして、今日このライブの仲間に加えていただけたことに対し、心から感謝した。

 僕らがホールを出たのは、確か6時前だったと思う。
フォルテともピアノとも言えない雨が、朝僕らがここに来た時と同じように坦坦と、しかも優しく、初夏の調べを奏でていた。


この日演奏した曲目とそれぞれに対する裏話


1曲目 『なぜどうして』
 この歌は、僕らの演奏の第1曲目ということもあって、最初はかなり緊張していた。しかし、僕は不思議と楠林さんのピアノが入ると気持ちが落ち着く。途中からだんだん緊張がほぐれてきて、気持ちよく歌の中に陶酔して行くことができた。
楠林さんもいつだったか、この歌に対して「"なぜどうして"はピアノを弾いていて、気持ちがスーッと詞の世界に吸い込まれて行く感じがするんだよねえ!」と言っていたことがある。
確かにこういうバラードは、ピアノとギター、それにボーカルの息がぴったり合った時は何とも言えないここちよさを感じる。
よくメンバーに、「お前は自己陶酔しやすいからなあ!」と言われるが、それくらい気持ちを込めて歌わないと、元々僕は歌唱力がないのだから、相手にメッセージは届かないだろう。

2曲目 『かちがらすのテーマ』
 この歌を演奏するのは、ずいぶん久しぶりである。それを一度も練習に参加できないジョージに歌ってもらおうというから、僕にはちょっと無謀のように思えた。
「オッケイ!むかし歌いよったごと歌えばよかっちゃろー?」
最初に僕がリーダーからの指令を電話で伝えた時、ジョージはいつもの軽い調子でそれを引き受けた。
ジョージに限ったことではないが、うちのメンバーがこんな風に安受けあいをした時は、後でろくな事はない。今回もそうだった。
 1曲目の演奏が終り、2曲目に入ろうとした時、僕の隣でジョージが慌てた口調で何か言った。
「あっあっ、歌詞が・・・」
おそらく、また度忘れしたとでも言いたいのだろう。
おいおい、今更何を。
僕は彼の「待った」をきこえないふりして、そのまま強引にイントロに入った。
リーダーから、「1曲目と2曲目の間はMCを入れないので、『なぜどうして』が終わったらすぐに次の歌に入るように」と言われていたのだ。
実は、本番前に控え室で練習している時、ジョージが、「この歌、一ヶ所だけ歌詞を間違えそうになるんだよねえ!」と言っていたので、僕は
「大丈夫、お客さんは誰もこの歌の歌詞なんて知らないんだから、間違えても、なに食わぬ顔してそのまま歌い続ければいいんだよ。とにかく間違いを悟られさえしなきゃいいんだから。」
とアドバイスしておいたのだ。それなのに・・・。
「もう、ほんとにしょうがないやつだなあ!」
と心の中で思いながら、急遽僕も一緒に歌ってあげることにした。
幸いジョージは、歌っているうちに度忘れした部分の歌詞を思い出したらしく、間違えずに最後まで歌うことができたと、帰りの車の中で喜んでいた。
まったくおめでたいやつである。

3曲目 『僕たちのフォーク喫茶』
 これは「音楽時代屋」ととても深い関わりがある歌なので、伝説ライブのメンバーの間では知名度が高い。
だからリーダーが曲紹介した時、会場内のあっちこっちから拍手が起こった。
そういう反応は、僕らとしてはすご〜くうれしい。
 少し前の話になるが、3月に梅さんの店「ワインバー田舎」に行った時、僕はそこに置いてあるギターを借りて、この『僕たちのフォーク喫茶』を歌わせてもらった。
ところが、その時僕はもうかなり酔っぱらっていて、いまにも止まってしまいそうなスローテンポで、しかも用務員の吹くハーモニカを完全に無視して、ふらふらしながら歌っていたそうなのである。
それがあるので、今回この『僕たちのフォーク喫茶』を歌うにあたって、メンバーから「あの時の分までちゃんと歌うように」と口うるさく言われ続けていた。
「もちろん、ちゃんと歌うさ。だって今度は酒を飲まないんだから。」
演奏の後、客席で聴いていた評論家が、「フォーク喫茶、なかなか良かったよ。特にジョージと用務員のコーラスがね」と率直な感想を述べてくれた。
「そうだった、この歌に関しては、みんなコーラスを聞きたがっていたんだよね。」

4曲目 『ひとつぶの涙』
 コーラスと言えば、やはり何といってもこの歌だろう。
用務員のボーカルに僕とジョージが上と下でハモる。
最初のスローな部分の3人のハーモニーが決まった時には、歌っている自分たちでさえもきれいだなと思う。
ところが、客席で聴いていた評論家の話によると、途中から僕のパートがきこえてこなくなったという。
理由はなんてことない。僕が自分で気付かないうちにマイクからずれてしまっていたのである。
こういうことは、僕らのコンサートの中ではよくあることで、普段は足元にプレートを貼り付けて、自分の立つ位置と方向が分かるように工夫している。
「やはり、今回そのプレートまで持参しておくべきだった。
いまさらそんなこと言っても仕方ないので、この教訓は次回に生かしたいと思う。

5曲目 『約束』
 、もしかしたら、その時の気分でサビのフレーズから入るかもしれないから、みんなちゃんと付いてきてね。
本番前の打ち合わせの時に僕はみんなに言った。
「了解!」
 この子らが夢を見続けられるように僕らは何をしてあげられるだろうか
 この子らの楽しみ 絶やしてしまわないように 僕らは何をしてあげられるだろうか
この部分のフレーズはとてもパンチが効いているので、ライブではできるだけここから入るようにしている。
 シーンと静まりかえっている中、僕がギター1本でこのフレーズを歌う。
歌い終わると再び静寂が。
そして、僕の合図で静かにピアノとギターのイントロが始まる。
と、うまく決まれば、最高に気持ちいい瞬間である。
楠林さんとは今日まで全く合わせていなかったのに、本番ではよく息が合った。
「だからこのパターン、病み付きになるんだよねえ!」
イントロと歌の出だしがうまく行けば、後はもうこっちのもの。僕は何も考えずに無心で歌った。
2番のサビの部分は、用務員とジョージも加わって一緒に歌ってくれたので、けっこう盛り上がったのではないかと思う。
ただ、エンディングでリーダーがギターをジャガジャガジャガジャガと激しくかき鳴らしたので、僕もそれに合わせようとして同じように弾いたところ、僕は指にフィンガーピックを装着していたものだから、ストロークがもつれて、なんともぎこちなくなってしまった。
ああ恥ずかしい!なかなか「終わりよければ全てよし」とは行かないものだ。


終わりに

 今回このイベントに参加したことで、僕らはとても貴重な体験をさせてもらった。
今あの日のことを振り返っても、ほんとうに楽しい一日だったと思う。
3月に長崎の梅さんの所にCDを持って行ったお陰で、僕ら・かちがらすも伝説ライブの仲間に加えてもらうことができたのだ。
そうしてみると、人生って思いっきりが大事だなとつくづく思う。
じっと待っていても、なかなか福は自分から転がり込んできてはくれない。
僕らは年齢を重ねて行くにつれ、自分というものが分かりだして、それにつれだんだん臆病になって行く。
それは音楽に対しても同じだろう。
下手くそだからと言って、自分たちの空間だけで音楽を奏でていては、何も新しいものは生まれない。
例え下手でもいい、「これが僕らのメッセージなんだ」というものをしっかり持って、あつかましく歌い続けてさえいれば、きっと誰かに共感してもらえる時がくる。
そして、そこからまた新たな出会いや音楽が生まれることだろう。
それを、僕らはこれからもずっと大切にして行きたい。

 今回僕らが個人的にお世話になった、梅さんをはじめ、マンボウさん、REIさん、PAのクマさん、送迎の原さんと戸辺ちゃん、他にもまだまだいらっしゃいますが。とにかく皆さん、どうもありがとうございました。

2004年5月27日



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