スマトラ沖地震TSUNAMI救済チャリティー・ライブ



 日時: 2月6日(日) 11:00〜16:00
 場所: アルカスSASEBO広場(野外階段前)
 出演者: 
・ブーツ(弾き語り)
・ギターフォックス(弾き語り)
・ダンスユニット 早岐よかとこキッズ組
・中村大貴カルテット(ジャズ)
・早岐ジャジーキッズ(ジャズ)
・ピースワールド(ゴスペル)
・ともぞう(弾き語り)
・ハジメドン(弾き語り)
・かちがらす(フォーク)
・松千(アコースティックロックユニット)


2月6日 晴れ この時期にしては比較的暖かな陽気


かちがらすのこの日の日程と行動(時間は大まか)

 9時、リーダー宅に集合。
 9時〜12時、練習とメンバー間の打ち合わせ。演奏時間と曲数のことでしばらくゴタゴタもめる。
 11時頃、今回の特別メンバー・高校3年生の志久奈保子さんが加わる。それからの1時間は、彼女に歌ってもらうことになっている『涙そうそう』を中心に練習する。
 12時過ぎ、志久さんは戸辺ちゃんの車で、メンバーはバスで会場のアルカス広場へ移動。移動のバスの中でチャリティーに出すためのCDを忘れてきたことに気づく。
 12時30分頃、会場に入る。ステージ上では出演バンドの演奏が行われており、周りにはいくつもバザーのテントが張られていて、大勢の人たちで賑わっている。
 12時30分過ぎ、いったん会場を抜け出して、近くのトンカツ屋さんに入り昼食を取る。出番まであまり時間がないからとの理由で、評論家にはご飯とみそ汁のおかわりはそれぞれ3倍までで留めておくように強く言い含めておく。
 13時20分頃から、会場脇の静かな場所を陣取って、そこでギターを取り出しチューニングを行う。志久さんと僕は少し歌って声出しをする。リーダーは、砥部ちゃんと一緒に自宅に置き忘れてきた「かちがらす」のCDを取りに帰る(往復40分)。
 14時40分頃、予定の時間よりも40分遅れでお呼びがかかる。
 14時50分から15時10分、ライブ本番。『涙そうそう』を含む4曲を演奏。
 15時20分から、今回のライブのオオトリ「松千」のステージを聴く。ギター1本と女性ボーカルの迫力あるアコースティックロックのサウンドに圧倒される。
15時50分、閉会。ステージを終えた「松千」にサインをもらって握手して、僕らも会場を後にする。
 それからアルカスに立ち寄って、秋に予定している「かちがらす結成25周年記念ライブ」の会場を予約して帰る。

ライブの様子

 1曲目の『一粒の涙』を歌い出した時、僕はとっさに「まずい!」と思った。用務員のボーカルと僕のコーラスが全く噛み合っていないのだ。やはりいきなりのぶっつけ本番というのは、マイクに対しての声の出し方の加減がわからない。
「ああ、歌う前にマイクを使って少し声出しをさせてもらっておけばよかった!」
いくら後悔しても、もう後の祭。
「さぞかし音痴なコーラスにきこえているだろうなあ。」
そう思いながらも僕はできるだけ平静を装って歌い続けた。じゃなくて、ハモり続けた。
こういうマイナスの空気というのは、メンバー間で伝染するものなのだろうか。感想に入ったとたん、僕の横でマンドリンを弾いていたリーダーがリードをミスり始めた。
「な、なんだ?いったいどうしたんだ?」
僕にも覚えがあるが、リードのフレーズというのは、いったん脱線してしまうと、なかなか修正がきかなくなる。
焦れば焦るほど頭の中がパニックになって、もう訳がわからなくなってしまうのだ。
この時のリーダーもきっとそうだったに違いない。
こうやって、かちがらすのステージは、司会者の人のお褒めの紹介とは裏腹に、悲惨なオープニングとなった。
 2曲目は『冬来たりなば春遠からじ』という歌。この歌は以前坂庭省悟さんが所属されていたSAMというバンドのアルバムに収録されている作品で、雪の下でじっと寒さに耐えながら春を待っている福寿草の花に人の生き方を重ね合わせた歌である。
今はどんなにつらくても、春は必ずやってくるから、自分の信じた道を歩いて行こうという、今回のチャリティーの趣旨にピッタリだということで、みんなで選曲した。
この歌に関しては、ほとんど練習どおりに演奏できたと思う。
 3曲目は『涙そうそう』。
「かちがらすも結成から25年、リードボーカルの幸松は年を取ってしまったので、この度引退することになりました。そこで新しいボーカルを紹介します。」
そう言ってリーダーが志久奈保子さんをサラッと紹介した。
僕ら・かちがらすをよく知っている人なら、すぐに冗談だとリーダーのポーカーフェイスの中からでもちゃんと読み取ることができるのだが、初めて僕らのライブを見る人の中には、本気にした人もいたかもしれない。現に、「あれはほんとのことですか?」との質問メールが、後で僕の元に届いたくらいだから。
まあ、それはいいとして、志久さんの歌う『涙そうそう』はとても素晴らしかった。それまでの僕らの失敗を帳消しにしてくれるくらいに・・・。
おそらく、お客さんたちも喜んでくれたと思う。
 4曲目、かちがらすの最後の歌は『花』である。これは誰もがよく知っているナンバーなので、演奏の上手い下手は関係なく、お客さんたちと一緒に歌ってけっこう良い雰囲気で盛り上がった。
「やれやれ!」一時はどうなることかと心配したが、何とか無事に20分のステージを終えることができた。
僕はステージを降りながら、かちがらすの窮地を救ってくれた志久さんと、『涙そうそう』『花』この二つの歌に感謝した。

志久奈保子 (しく なおこ) さん

僕らが志久さんと初めて出会ったのは、今から3年前で、コンサートに行った花園中学校でだった。
当時は、コンサートの途中に「学生と一緒に歌うコーナー」というものを設けていて、希望者に舞台に上がってもらい、流行歌などを僕らの伴奏で歌ってもらっていたのである。
花園中学校のコンサートで、快く手を挙げて舞台に上がってきてくれたのが志久さんだった。
その時の歌は、当時流行していたゾーンというグループの『Secret Base』で、民謡を習っているという彼女は、伸びのある澄んだ声でパワフルにこの歌を熱唱してくれた。
この瞬間から僕らは、すっかり彼女の歌唱力に魅了されてしまったのである。
「機会があれば、またいつかライブに呼んで歌ってもらいたいね」と終わった後メンバーで話をした。
そして、ついにその機会がやってきたというわけなのだ。
彼女はあの時確か中学3年生だったから、今は高校3年生のはずである。
「はたして、こんなむさ苦しいおじさんばかりのバンドで歌ってくれるだろうか?」
とても不安だったが、志久さんは二つ返事で僕らのラブコールを受けてくれた。
彼女は現在本格的にプロを目指して歌の勉強をしているのだという。今回、通っている教室の先生に出演の許可をもらって、わざわざ時間を作って歌いにきてくれたのだ。
自分の夢に向かって一所懸命に頑張っている人はキラキラ輝いている。
短い時間だったが、彼女と一緒に歌って、道を歩いて、食事をして、僕らはたくさんパワーをもらった気がする。
それに音楽の面でもすごく勉強になった。声の出し方、ブレスの仕方、本番に向けての咽の作り方など。
これから先はもう一緒に歌ったりする機会はないかもしれない。でも、僕らはずっといつまでも志久奈保子さんにエールを送り続けるだろう。

チャリティーについて

 音楽を通して自分たちにも何かできないだろうか?
テレビやラジオで中越地震やスマトラ津波のニュースを耳にする度に、僕はずっとそう思っていた。
もちろん、個人的には募金箱に入金したり、ドラえもん募金にダイヤルしたりというようなことはやったのだが、僕が寄付できる金額なんてたかがしれている。
そこで、チャリティーライブなるものを思い立ち、1月にメンバーが集まった時に僕は話を持ちかけてみた。
みんなもそれに賛同してくれて、「そうだね、やりたいね!」という話になっていた。
そんな矢先に地球屋の沖津さんから今回のチャリティーライブへの出演の話が持ちかけられたのである。
僕らが二つ返事で出演を申し出たのは言うまでもない。
「渡りに船」とはまさにこのことだろう。
それからは、3月の中学校コンサートの練習はいったん中断して、今回のライブの練習だけに打ち込んできた。
演奏の出来の良し悪しはともかく、音楽でチャリティーの手伝いができたことを、今とても嬉しく思っている。
かちがらすは、「この日に売れた分を全額チャリティーに寄付します」ということで、自分たちのCDを販売させてもらった。
まずい演奏をお聞かせしたにも関わらず、CDを買ってくださった方々に、心よりお礼を言いたい。
本当にどうもありがとうございました。

2005年2月10日



日誌のページに戻る