バスの中で

 
2月23日 日曜日 曇り時々小雨

 
 「お客さんたち、どこまで行かれるんですか?」
少し年輩気味の運転手さんにそう尋ねられたのは、僕らがそのバスに乗車してから20分ほど経った頃だった。
他の乗客はみんな下車してしまい、おそらくこの時点でバスには僕と評論家の二人だけしか乗っていなかったのだろう。それで運転手さんも気にかけてくださったのに違いない。
「黒髪です」
僕らはリーダーの家の近くの停留所の名前を答えた。
「ええっ!黒髪!!!」運転手さんの口からビックリマークが一つ、二つ、三つ飛び出してくる。
「お、お客さん、黒髪はもうとっくに通り過ぎましたよ」
「ええっ、このバスは黒髪行きじゃないんですか?」
「違いますよ!」
「たしかアナウンスはそう言ったように聴こえたんですけどねえ!」
「そんなはずはありません。ちゃんと私は黒髪経由まるまる行きと言いましたよ。」
そう言えばバスに乗り込む直前まで、僕等は知らないおばさんと話をしていて、バスが目の前に止まった時、行き先を告げるアナウンスをよく聴いていなかったような気がする。そして、「黒髪」と言う行き先の断片だけを聴いて「このバスは黒髪行き」だと勝手に思い込んでしまったのだ。それにしても評論家まで僕と同じ思い込みをしていたとは、何という不運だろう。
僕らが乗車したバス停から黒髪までは普通に行けば3分くらいしかかからない。ただし、もう一つ別のコースがあって、そのコースを取れば、それでも6・7分もあれば着いてしまう。
それなのに、今日は10分経っても、20分経ってもなかなか黒髪に着かない。
「おい、今日のバスは黒髪までやけに時間がかかると思わないか?」
「うん、そうだね!何だか黒髪がだんだん遠ざかっていうようにも感じるよね!気のせいかもしれないけど。」
「でもまあいいか、黒髪は終点なんだからさ。このまま乗ってさえいればそのうちに着くだろうよ。」
運転手さんから問い掛けられる直前まで、僕等はそんな間抜けな会話を交わしていたのだ。
「それに黒髪を通過する時も車内アナウンスが入ったはずですけどねえ。お客さんはそれを聴いていらっしゃらなかったんですか?」
僕等はバスに乗り込むなり、「ネットで販売されている3000円のコーヒーを二人で共同購入しよう」という相談をしていた。
おそらくその話に夢中になってしまっていて、車内アナウンスはろくに聴いていなかったのだ。またその必要もなかった。何せ運転手さんに言われるまで僕等は終点で降りればいいと思い込んでいたのだから。
「はいまったく気がつきませんでした。で、僕らはいったいどうしたら黒髪に行けるんでしょう?」
またしても間抜けな質問。
運転手さんはその時「こりゃあ、朝っぱらからやっかいな荷物を背負い込んでしまったぞ!」きっとそう思われたに違いない。
「困りましたねえ。ここで降りてもらって、黒髪行きのバスに乗り換えるのが一番よいのですが、そのバスがすぐに来るとは限りませんしねえ。」だいいちお二人だけじゃ危ないし。
しばらく考え込んでから、運転手さんはおっしゃった。
「わかりました、お客さんたちはこのまま乗っておいてください。このバスは後10分ほどで車庫に着きます。車庫に着いたら私が折り返しのバスに乗せかえてあげますから。」
そうやって僕らは、バス会社の関係者以外はめったに立ち入ることのない場所へと連れて行かれたのだった。

「よかったね、運転手さんが親切な人でさ。それに珍しい体験もさせてもらったしさ、俺たちほんとラッキーだよねえ!」
 評論家はこの珍事をとても喜んでいる。彼はどこまでもおめでたいやつなのだ。
 しかし考えてみると、この事態を不運と取るかラッキーと取るか、その受け取り方によって僕等の今日1日の運勢が大きく変わってくる。
「ああ、朝っぱらからついてないなあ!」そう思えば、きっと気持ちは1日中どんよりした雲に覆われてしまうことになるだろう。
ところが、評論家のようにプラスに解釈すれば、1日晴れ晴れした気持ちで過ごすことができるのだ。
解釈というのは、自分だけの心の問題だから、どう解釈したところで周りの状況が変わるわけではない。それならマイナスに受け取ることの利点なんて一つもないではないか。
「そうだよなあ、お陰で俺もホームページに書き込むネタができたしなあ。」
そうやって僕も自分の気持ちをプラスに切り替えることにした。

 タイミングよく10分で折り返しのバスが出ると言うので、僕等は車庫内でそのバスに乗り移り、予定より1時間遅れて無事黒髪に辿り着くことができたのだった。
2月25日

 
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