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9条ライブ イベント名称 5.3空いっぱい海いっぱいに平和があるように-輝かせよう憲法9条- 主催 「九十九島9条の会」準備会 開場 JAさせぼ 4階大ホール (松浦町 農協会館) 日時 2005年5月3日(火・憲法記念日) 6:00p.m.開場 6:30p.m.開演 8:30p.m.終了予定 入場無料 5月3日(憲法記念日) 火曜日 晴れ まるで夏のような陽気 1ヵ月くらい前、リーダーから 「キュウジョウライブに出演依頼がきているんだけど・・・どうかなあ?自分としてはぜひ受けたいんだけど・・・」 といつもより少し控えめな口調で電話がかかってきた時、5月3日が憲法記念日であることをすっかり忘れていた僕は、日にちとイベントのタイトルとが結びつかずに、「キュウジョウ」という言葉の響きから、てっきりどこかの野球場で行われるイベントだろうと勘違いしてしまった。 リーダーの「自分としてはぜひ受けたい!」という強い意思表示から、「普通の音楽イベントではないな」とは思ったが、まさか憲法9条に関するものとまでは、その時の僕は頭が回らなかった。 「ええ!そのイベントどこの球場であるの?」 間抜けにもそんなことを尋ねてしまっていたのである。 「キュウジョウというのは野球場じゃなくて、憲法9条のことなんだけどね。どうかなあ、それまでに腰痛治りそうかなあ?」 1ヵ月前のその時点では、僕の腰痛はまだ6割がたしか回復していなかった。だから 「いやあ、まだなんとも言えないねえ!良くなれば参加したいけど・・・」 と、あいまいに答えておいた。 そんな僕の頼りない返事に、今回はもうあいつを当てにする訳にはいかないと思ったのか、リーダーは用務員と評論家を召集して、3人だけで練習を開始した。 ライブの時間は20分間だそうである。ということは4曲演奏できることになる。 「4曲くらいなら、オレ抜きでも大丈夫だよね。」 僕はリーダーから電話で途中経過を聴かされる旅にそう言って自分の不参加を匂わせた。 今回のライブの選曲は4つのパターンを用意しているという。 一つは僕と楠林さんが共に参加できる場合。二つ目はどちらも参加できない場合。三つ目と四つ目は、どちらか一方だけが参加できる場合である。 20分のライブで四つのパターンを用意していて、しかもそれぞれ曲目が異なるというからすごい。 僕がいない時、果たしてどんな曲をどんな風に練習していたのか、僕には全く分からないが、会話の途中で漏れ聞こえてきた話によると、ゾウさんの替え歌とか、チューリップの替え歌とか、お馬の親子の替え歌とか、アメリカ国家の替え歌とか、そんな歌を3人でギターを弾きながら歌っていたようである。 おそらく、替え歌の歌詞の内容は、世相を皮肉ったものだろうと思う。 僕個人的には、一度彼らの演奏するお馬の親子やアメリカ国家、チューリップや鳩ポッポなどを第三者の立場で聴いてみたい気もするが・・・怖いような気もする。 結局ライブ本番では、僕も楠林さんも参加できるということで、一つ目の選曲パターンが採用されることになった。 本番当日、僕らは2時にリーダー宅に集合して1時間ほど練習を行った。それから、楽器を運ぶために来てくれた砥部ちゃんを交えて、おやつを食べながら雑談をするという、いつもの寛ぎの時間を過ごした。ちなみに評論家はこの時、昼食がまだだからと、おやつの前に寿司を2パック食べていた。 会場である農協会館に入ったのは4字30分頃。今回演奏するのはかちがらすだけなので、PAは自前で用意しなくてはならない。開場時間は6時。それまでにセッティングとリハーサルを済ませておく必要がある。 幸い沖津さんが仕事の合間を縫ってセッティングに来てくれたので、全てスムーズにくみ上がり、リハーサルも30分くらい、たっぷりと行うことができた。 後は、キーボードの楠林さんが時間に間に合うかどうかである。3時に阿蘇を出るそうだから、車が予定通りに進めば、7時30分頃には佐世保に到着できるだろうとのことだ。 僕らの出番は8時15分からなので、その時間予定で行けば、本番前に30分くらいは打ち合わせができることになる。ただ心配なのは、有田で陶器市があっているので、楠林さんの車がその渋滞に巻き込まれなければいいがということだ。 6時30分、予定どおりに開演した。客席の椅子は150脚用意しているとのことだったが、全く空きはなさそうだった。 会は数人の人たちの戦争体験談から始まった。僕らは自分たちの準備などがあって、ゆっくり全てを拝聴することはできなかったが、少し聴いた中で僕が最も印象に残ったのは、「方言で語る憲法9条」というもの。 どがんことんあってん、絶対に戦争はすっぎでけん。 話し合いがうまくいかんけんって言うて、武器を持って暴力で相手に言うことばきかしゅうなんてことは、絶対にしたらいけん。 戦争に負けた時に、日本はもう武器は持たん、戦争もせん、って硬く誓ったとやっけんねえ。 正確な表現は忘れてしまったけれど、こういう感じで憲法9条「戦争の放棄」が佐世保・佐賀地方の方言で語られていた。 演者は昔学校の先生をされていたという女性の方で、その説得力ある暖かな語り口に、僕の心はすっかり引き込まれていた。 「確かにそうだ!」 僕は今更ながらこの9条の重みを再認識した。 大人たちには、現代の子どもたちに対して、こういう自分たちの言葉で分かりやすく、そして優しく憲法9条を伝えていってほしいと強く思った。 楠林さんは、ほぼ予定どおり、7時30分頃会場に到着した。長時間のドライブでお疲れの楠林さんには悪かったが、休む間も与えず、僕らは農協会館の1階のロビーに移動して、誰もいない静まり返ったその空間の一角を陣取って、キーボードとギターで練習を開始した。 夜のロビー、しかも僕ら以外に誰もいない。楽器の音やボーカルの声が適度に反響してすっごく気持ちいい。 「ねえ、上野お客さんをみんな呼んで、ここでライブしようか!」 そう冗談を言い合うくらいに、この空間で奏でるバラードのサウンドは最高に心地良かった。 酔いしれながら20分くらいだろうか、練習と大まかな打ち合わせをしてから、僕らは再び4階の会場に移動した。 会場では、リレートークが行われていた。プログラムでは次がかちがらすのコンサートになっているそうである。 さあ、いよいよ出番。 コンサートの詳細については今回は書かないことにする。なぜなら・・・ ただ、記録として残すために演奏した曲目だけは記しておきたい。 1. レジスタンス 2. ひとつぶの涙 3. 軟弱者 4. なぜどうして 本番前のセッティングの5分間、リーダーは例によって駄洒落を連発して会場から笑いを取っていた。楠林さんは慌しくキーボードをPAに繋ぐ作業を行っていた。僕と評論家と用務員はそれぞれ自分のマイクの前に座って、リーダーのくだらない駄洒落を聞きながらじっとセッティングが完了するのを待ってイた。 「では、コンサートに皆さんをご招待しましょう!」 ということで、今回初めての試みとして、1曲だけではあるが、オープニングの『レジスタンス』の演奏を実際に聴いてもらおうと思う。 録音はmdウォークマンに小型のマイクを繋いで、客席の一番後ろの席で行ったので、人の話し声とか、周囲のざわめきもかなり収録されている。 でも、わりときれいにはっきりした音で入っているので、今回のライブの雰囲気は感じ取ってもらえるのではないだろうか。 このファイルはwma形式になっています。少しサイズが大きいのでダウンロードに時間がかかるかもしれません。 本当なら、用務員が熱唱した『軟弱者』をお聞かせしたいところだが、僕らのオリジナル曲ではないので、著作権等の問題からここで流す訳にはいかない。 この歌は、たとえ軟弱者と笑われても、私たちは絶対に戦争はしないという内容の歌詞で、『ひとつぶの涙』と同じ笠木とおるさんの作品である。 リーダーは最近、やたらと笠木さんの歌の世界にはまっている。 まあ、そのことはいいとして、ライブはけっこう良い雰囲気で盛り上がった。 ただ、僕が最後のクライマックスの場面で『なぜどうして』の歌詞をはでに間違えてしまったので、その点個人的にすごく悔いが残っているけど。 やはり歌い込みが足りなかったのだろう。「これまで何10回、いや、もしかしたら何100回と歌っているのだから」と、多価をくくって、自宅での練習を怠っていたのが悪かったのかもしれない。 この反省を心にしっかりと刻んで、次に生かさなければ。 ライブを終えた僕らは、帰りの電車に間に合わないといけないからと、リーダーと楠林さんを残して、慌しく会場を後にした。 そして、森永恵みさんと砥部ちゃんに佐世保駅まで送ってもらっって9時20分の佐賀方面に向かう電車に乗り込んだ。 リーダーと楠林さんは、イベント終了まで会場にいて、それから僕らを見送って戻ってきた戸部ちゃんと合流して、3人で、沖津さんの勤める「地球屋」に寄って12時頃まで食事をしてから帰ったそうである。 な〜んだ、そういうことなら僕らもビジネスホテルを予約して、一緒に食事(打ち上げかな?)に参加するんだったのに。 リーダーからの報告を聞いた時、僕はとっさに受話器に向かってそう悔やんでいた。 今回も砥部ちゃんをはじめ、沖津さんや恵みさん、克ちゃん、その他スタッフの方々にはたいへんお世話になりました。 お陰で、楽しく有意義な時間を過ごすことができました。本当にどうもありがとうございました。 2005年5月5日 |