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ながさき九条フェスタ2008春(その2) 『平和と平等をあきらめない』 「今回の平和と平等だけど、幸松さんの味が出ていてすごくよかったよ。」 これは、昨年の九条フェスタの後、戸辺ちゃんが僕に言ってくれた嬉しい感想である。 僕はこの言葉にどれだけ勇気付けられたかしれない。 武原からボーカルを引き継いだものの、最初は「彼みたいにちゃんと歌えるだろうか?」と不安だった。 と言うのも、この歌は元々武原のボーカルをイメージして書き下ろした作品だったからだ。 リーダーから曲を付けてほしいと言って最初にこの詞を見せられた時、僕は第一印象として「何だこれは!政治評論化の論説みたいじゃないか」と思った。 新聞の社説に出てくるような難しい用語がずらっと並んでいたからだ。 弱肉強食、勝ち組の論理、自己責任、歪んだナショナリズム、それに適者生存、などなど。 一目見て僕は「ああこれはオレのカラーに合わないな」と直感した。 そして、その時点でボーカルは武原に回そうと決めた。 僕には、弱肉強食よりも焼肉定食、勝ち組の論理よりも蜂蜜の料理と歌っていた方が性に合ってるし、歪んだナショナリズムよりも弾んだサンバのリズムの方がピンとくる。 と、これはちょっと冗談が過ぎたけど、このメッセージは僕には重過ぎると感じたのは事実だ。 感の鋭い武原のことだから、リーダーからボーカルを担当してほしいと言われた時、すぐに僕の魂胆に気づいたに違いない。「あっ、押し付けられたな!」と感じたことだろう。 でも、彼にしては珍しく、文句一つ言わず、あっさりと承諾してくれたのだった。もしかすると、僕と違って武原にとってはど真ん中の絶好球だったのかもしれない。 ここで、誤解されるといけないのではっきり言っておくが、自分が歌うつもりはないからと言って、手を抜いて作曲したなんてことは絶対にない。 それどころか、毎回言っているように、とてもグレードの高い曲に仕上がったと自負しているくらいである。 その証拠に、この歌の反響はすこぶる良い。 演奏を聴いた後に「共感しました!」と言ってくれる人も多いし、2006年6月4日、長崎の水辺の森公園で行われた「明日の神話もってこい10000人まつり」ではテーマソングにも抜擢され、そのためのレコーディングもした。 そうやって武原のボーカルで支持を集めて行った歌を突然僕が引き継ぐことになったのだ。いくら作曲を自分がやったとは言え、プレッシャーを感じないはずがない。 そんな中での戸辺ちゃんの言葉。自信となって「よし、これからは自分の歌としてこの歌を育てて行こう!」と思った。 あれからまだステージでは3回しか歌っていないが、だいぶん歌詞にも慣れ、メッセージと自分のカラーとのギャップもほとんど気にならなくなってきている。 それどころか、回数を重ねるごとにだんだん愛着が沸いて来ている。 歌というのは不思議なものだなあとつくずく思う。 今年の九条フェスタ、ステージを降りた後僕はいつものように感想を聞いた。 「ねえ!戸辺ちゃん、今日のできはどうだった?」 「そうねえ、良かったんじゃない!」 「ちゃんと聴いてなかったやろ?」と、つい突っ込みたくなるような素っ気ない返事が返ってきた。 これも戸辺ちゃんなのである。 まあいいか!自分では気持ちよく歌えたんだから。 弁当タイム 昨年同様、今年も僕らの弁当はニャンコ姫が用意してくれていた。 プログラムによると、"かちがらす"の出番は1時過ぎとなっている。時計を見るとまだ12時前だ。少し早いとは思ったが、演奏が終わってからじゃ遅くなるので、この時間にいただくことにした。 今回は、おかずを人数分、つまり5〜6人分、それぞれ別々のパックに詰めて用意してきているという。 そして、おにぎりは全部で4種類、おかずとは別に、1個ずつラップに包んであるそうだ。これだけの品数を料理するには、相当手間がかかったに違いない。朝かなり早起きして作ってくれたのだろう。 「ニャンコ姫さん、どうもありがとう!」 僕が察するに、弁当をこういう形にしたのは、きっと昨年の事があったからではないだろうか。なぜなら、昨年はたくさん作って持って来ていたのに、評論家が居なかったために、あわや残りそうになったのだ。 これには僕もある意味責任を感じている。と言うのも、ニャンコ姫がその時に言っていたのだが、僕の日誌を読んで、かちがらすは大食家ぞろいだと信じ込んでいたらしい。 確かに僕は、自分の日誌で頻繁に評論家の豪快な食いっぷりを紹介している。それを読めば、誰だってそう思うだろう。 実際に誇張でも何でもないのだが、寄りによって、と言うかこの日に限って、横綱の評論家(現在は関脇くらいまで降格している)は来ていなかったのだ。 最終的には救世主のごとくアカシさんが現れて平らげてくれたから良かったようなものの、アカシさんが居なかったら、料理を余らせてニャンコ姫のせっかくの行為を僕らは無にしてしまうところだった。 でも今年はもうそんな心配はいらない。何せ評論家が居てくれるから。 評論家にとって女性の手作り弁当は初めての体験なのか、ものすごく感激しているようだった。 「わあ、ありがたいなあ!」 今にも手を合わせて拝みかねない様子だ。 「この行為に報いる為には、残さないように全部平らげることだぞ」 「よし、任せて!」 いくら番付を下げているとは言え、こういう時の評論家はとても頼もしく見える。 実際「ああ、うまかぁ!」を連発しながらおにぎりを頬張っていた。 昨年の救世主・アカシさんも会場の何処かに居るはずだからと、戸辺ちゃんが携帯で呼び出してくれたので、アカシさんも加わり6人での和やかな昼食タイムとなった。 ありふれた表現になるが、芝生に座って生演奏を聴きながらみんなで食べる弁当は格別だ。演奏の合間に港の方から船の汽笛がFの音で「ファーン」と聴こえてくる。周囲の木の枝には小鳥たちが「ピーピー!チュンチュン!」と囀り、後ろの方では子どもたちが元気よく遊んでいる。その全てを五月の風が時間ごと優しく包み込んでいる。 こういう平和な風景を人はなぜわざわざ壊そうとするのだろうか。 それにしても、今年はとんびの声が全く聴こえない。昨年は頭上であんなにたくさん舞っていたのに。確かとんび注意報まで出ていたんじゃなかったっけ。 もしかすると、グループの中に評論家が居るのを見て、分け前は望めそうにないと察したのかもしれない。鳥とて賢いのだ。 長崎カクテル 長崎駅の隣のアミュプラザというビルの4回に「魚菜や・ 朝次郎」という居酒屋がある。暖簾をくぐって店内に入ると、それまでのガヤガヤした賑やかしさとは打って変わって、静かなBGMの流れる癒してきな空間が広がる。その落ち着いた雰囲気に、一瞬「まだ準備中なのでは?」と勘違いしてしまう程だ。 奥に進み、座敷の入り口で靴を脱いで上がって行くと、そこには6人がゆったり座れるくらいの四角いテーブルが置いてあって、床は最近流行の掘り炬燵式になっている。 メニューは、屋号からして魚貝類と野菜類がメインなのだろう、それらの食材を使った一品料理がたくさんある。飲み物も、ノンアルコール類のソフトドリンクから、ビール、焼酎、日本酒、ワイン、カクテル、サワー、果実酒、ウイスキーに至るまで色とりどりだ。 この店に初めて入ったのは昨年の九条フェスタの帰り。夕方5時前と言うこともあってか、駅周辺の居酒屋は何処も開いてなくて、あちこち探し歩いたあげくに辿り付いたのがこの店だったという訳である。 昨年はかちがらすのメンバー以外にキリン君も一緒だった。この店は確かキリン君が案内してくれたんじゃなかったっけ。 その時に飲んだカクテルの味、というか名前が気に入って、「今年もキリン君を誘って帰りに寄ろうね」と皆と話していた。残念ながら、今回はキリン君のスケジュールが合わず自分たちだけで行くことになってしまったが。 席に着いて最初にすることは乾杯だ。戸辺ちゃんは生のビール、それ以外は長崎カクテルをオーダーして「お疲れさん!」とグラスを合わせた。 ちなみに、皆がどんなカクテルを注文したか書いておくと、リーダーは「恋する眼鏡橋」。ニャンコ姫は「思案橋心中」。評論家は本意ではなさそうだったが光学の為にと「稲佐山の片思い」。そして僕は「脇岬サンセット」だったと記憶している。 これからも分かるように、長崎カクテルはどれも長崎の地名を織り込んだ、ロマンチックなネーミングになっている。観光客の中には、名前を見て「旅の思い出にひとつ飲んでみよう」と思う人もきっと少なくないだろう。現に僕らがそうなのだから。このカクテルはそういう旅先の情緒も一緒に味わあせてくれるのだ。 ところが、評論家は一口飲むやいなや、「これは甘い!アルコールを果汁で割るなんて邪道だ〜」と息巻いて、次からは泡盛に切り替えて飲んでいた。 まっ、そう言われれば確かに甘い。さすがに僕も何杯も続けて飲む気にはならない。ここだけの話、ただいまダイエット中だから。 そこで、店のお姉さんに甘くないカクテルをと尋ねたところ、「ゆずれない二人」というのを薦めてくれた。ユズとグレープフルーツとトニックのカクテルだそうだ。なるほど、先程のよりは甘くない。「これはいける!」 美味しかったので、ついついお代わりして3倍も飲んでしまった。 冷たいカクテルの喉越しと、アルコールによるほろ酔いの心地良さが一日の疲れをスーッと癒してくれる。皆もきっと同じような感覚を味わっているのではないだろうか。 こうやってゆったりとした時間の中に身を置いていると、今日の終着点が長崎だったらどんなにかいいだろうとつい思ってしまう。僕はこれから4時間かけて帰らないといけないのだ。 2時間余り、お酒を飲みながら他愛の無い話を交わし、海の幸、畑の幸で腹を満たし、帰路に着くべく店を出たのは、午後7時10分頃だった。 おわりに 今年の憲法記念日も皆と一緒に電車やバスを乗り継いで長崎まで行き、海辺にある公園で演奏し歌って、他の出演者の演奏やコーラスを聴きながら芝生に座って弁当を食べて、夕食には居酒屋で一杯飲んで帰ってくるという、とても楽しく有意義な一日を過ごさせてもらった。 このように仲間たちと一緒に過ごす時間と記憶に刻まれて行く一つ一つの思い出は、僕の人生において掛け替えの無いものである。 こういう至福の時間が持てるのも、日本という国が平和であってくれるからに他ならない。 その平和が憲法九条の改正という政治家の横暴によって少しずつ破壊されようとしているらしいのだ。 日本の平和と、我々国民一人一人のささやかな幸せを守り続けるために、及ばずながら僕らも祈りを込めて歌い続けよう。「平和と平等を僕はあきらめない 平和と平等を僕はあきらめない」と。 2008年6月4日
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