ながさき九条フェスタ2006春(後編)


 「これが終わったら、みんな後はもう何もないんだろう?だったらビール飲みに行こうよ!」
九条フェスタのパンフレットを見ながら梅さんがおっしゃった。
「う〜ん、僕はいいんですけど・・・」
「えっ、何かあるの?」
「いやっ、特別ないんですけど、リーダーが平和大行進に参加すると言ってるんで。」
ステージの催しが終わった後、「9条を守ろう市民平和大行進」と題して、ここ水辺の森公園から市民会館まで、1時間かけてパレードが行われることになっているのだ。
「行進?そんなの別にいいじゃん、ねえフォーキーさん、ビール飲みに行こうよ!」
そこで今後の行動を巡って梅さんとリーダーとの間で綱引きが始まった。
僕はリーダーが一度言い出したら絶対に後へ引かないのを知っている。
「引かない?」引かなければ綱引きは負けてしまうか。
じゃあ、この場合綱引きと言う表現はまずいなあ。
って、そんなことどうでもいいので、話を先に進めるが、僕は困ってしまった。
用務員はというと、相変わらず無関心を装い「オレはどうでもいい、決まったことに従うから」という感じで、全く口を挟まない。
「じゃあ梅さん、一緒に行進してからビールのみに行きましょう!」
僕が言いたかった台詞をリーダーが口にした。
僕もさっきからそうするのが一番いいような気がしていた。でもなんか、梅さんの口調が、いかにも歩きたくなさそうだったので言いだせずにいたのだ。
「歩いた後のビールは格別に美味しいですよ。」
「しょうがない、そうするか!」
とうとう梅さんの方が折れてくださった。
話は決まった。この後、僕らと梅さんは「市民平和大行進」に参加して、その間戸辺ちゃんにギターを森永さんのアパートまで運んでもらう。
「市民平和大行進」の終着点になっている市民会館で再び戸辺ちゃんと合流し、そのままみんなで昼食に行く。そしてビールを飲む。
うん、なかなか効率の良いスケジュールではないか。

 市民平和大行進は長崎うたごえ協議会のコーラス『翼をください』に見送られて12時過ぎに出発した。
水辺の森の名のとおり、海辺に沿って歩道を歩いていく。横2列ないし3列の長い行列なので、先頭の様子は分からないけど、いろんなグループがいるようだ。
ただ不通に歩いている人。拡声器で演説をしながら歩いている人。テープレコーダーで『We shall over come』や『花はどこへ行った』などの反戦歌を鳴らしながら歩いて行くグループ。そして、たぶん長崎うたごえ協議会の方々と思うが、ギター伴奏に合わせて、やはり『We shall over come』を合唱しながら歩いて行くコーラス隊。
みんなそれぞれ思い思いのスタイルで平和をアピールしているのだ。
ただ、僕が感心したのは、これだけの大きなパレードなのに、一般の通行人や車に対してものすごく気を配りながら行進されていたことである。
先頭で指揮を取る人は常に、列が横に広がり過ぎないように注意を促し、交差点では必ず信号を守るように大声で呼びかけておられた。
僕はこれまでいろんな町で同じような場面を見てきたが、どれも我が物顔というのが多かったように思う。
それなのにこの気の配り様。さすが長崎だなあと、改めて人のいい市民性みたいなものを感じた。

 僕らはというと、梅さんとリーダーと用務員の4人で固まって歩きながら、前後から聴こえてくる歌に合わせて一緒に歌ったり、その歌の解説をしたり、僕らもギターを抱えてくればよかったかなと言ってみたり、そうやってけっこうパレードの雰囲気を楽しんでいた。
行進は海辺から市街地に入り、銅座の前を通って、覚えのある電車道を横断して浜の町のアーケードを抜け、観光通りへと進んで行く。この辺りは梅さんにとって庭みたいなものなので、誰かに見られてるんじゃないかと、梅さんはさすがに恥ずかしそうである。
「今日、平和集会に集まった人たちを見ると、そのほとんどが50歳から60歳といった段階の世代だよね。ほんとうはこんなんじゃいけないんだよなあ!」
梅さんは、会場に20代30代の若者たちの姿が少なかったことをとても嘆いておられた。
いま政府は、憲法九条を変えようとしている。それを必死で変えさせまいと踏ん張ってくれているのが、戦争の悲劇を知っているこの段階の世代の人たちだ。
もし、この人たちがいなくなってしまったら、堤防は決壊して日本の平和は崩れ去ってしまうだろう。
だからそうならないためにも、若者たちには、もっとこういう集会に参加して、真剣に平和について、将来の日本について考えてもらいたいんだ。
というようなことを、歩きながらポツリポツりと話しておられた。

 パレードは、古風なたたずまいの、中通り商店街を通り、再び広い道路に出て、1時過ぎに市民会館に到着した。
戸辺ちゃんはもうすでに楽器運搬を終えて、市民会館の前の広場で僕らを待ってくれていた。車も会館の駐車場に止めてきたという。
さあ、今度は僕らが梅さんにお付き合いする番だ。って、それもちょっと違うか。一緒にビールを飲むというのは、僕らも望んでいることなのだから。
今ずっと歩いてきた道を戻って、観光通りにある、梅さんがよく利用するというカレー屋さん「夕月」に入った。そして少し遅めの昼食を取った。
参考までに、僕らがオーダーしたのは、クリームコロッケカレーと、カツカレー。それにビール。もちろん、この席に評論家はいなかったので、食べたのはみんなそれぞれ一品ずつである。
夏のような日差しの中を長時間歩いて、汗をかいた後だけに、ビールもカレーもなんとも言えず美味しかった。
「場所を変えてゆっくり飲もう!」
次の行き先はもうすでに決めてある。りかちゃん通りのオハナカフェだ。
カレー屋さんからオハナカフェまではとても近く、わずか数分で移動できた。時間的にタイミングが良かったのだろう、店内はがらっとしているようだった。
僕ら5人、一つのテーブルを囲んでL字型に座り、それぞれ好みでビールやチューハイ、ウーロン茶などをオーダーして、この掛け替えのない時間に改めて乾杯した。
 それからの数時間、厳密に言うと2時間弱だが、6月4日のイベント「明日の神話もってこい10000人まつり」に向けての打ち合わせをしたり、岡本太郎の壁画について教えてもらったり、梅トリアルバムの感想を述べ合ったり、レコーディング秘話などを聞いたりと、とても楽しく寛ぎの時間を過ごした。
「男というのはロマンティストだから、過去の恋愛体験を、相手の女性のことも含め、美しい思い出としていつまでも大切に心の中にしまっているものなんだよね。」
それらの思い出は時が経過すればするほど、色あせるどころか、むしろ反対に美化されて行く。
だから現在進行している恋愛よりも、思い出となってしまった過去の恋愛の方が歌としては書きやすいのだ。
と、こんな話もしたような気がする。

 オハナカフェを出たのは、午後4時過ぎ。再び市民会館まで歩いて戻り、そこで梅さんに見送られて僕らは戸辺ちゃん号に乗り込んだ。
いつもそうだが、梅さんとの別れはなんだか名残惜しい。ほんのりと効いているアルコールのせいもあるのだろうか。
「じゃあ、今度は『明日の神話』のレコーディングで!」と約束して、僕らは梅さんを市民会館の脇の路上に一人残し、長崎の街を後にしたのだった。

 帰りの車の中では、梅トリアルバムをエンドレスで鳴らしてもらい、ずっとそれを聴いていた。
レコーディングの時の様子や、歌ができた背景などを教えてもらった後で聴くと、どの歌もこれまで以上に身近なものに感じられた。
帰りの道は朝よりも若干込んでいて、2時間余りかかって早岐駅に着いた。
僕と用務員はここで降ろしてもらうが、リーダーはこの後、佐世保の九条フェスタに参加して講演会を聞くのだという。
「九条フェスタの梯子かあ!」いつもながら、その平和にかけるリーダーの熱意にはほんと感服する。
「戸辺ちゃん、今日はありがとうね!」
礼を言って僕らは車を降りた。戸辺ちゃんも車から下りて一緒に駅舎の中までついてきてくれた。腕の時計を見ると、6時30分を少し回っていた。

 前編でも書いたように、最初僕は、今回の長崎行きをためらっていた。でも今となってみると、行って本当によかったと思う。
一日すごく充実していたし、いろいろ考えさせられることも多かった。
今の僕らには歌で抵抗することくらいしかできないけど、それでも諦めて何もしないでいるよりは、はるかにましなのだということが分かった。
「平和と平等を僕はあきらめない 平和と平等を僕はあきらめない」
このフレーズがいつまでも心に鳴り響く、2006年の憲法記念日であった。

2006年5月19日



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