25周年コンサートイブ

11月26日 土曜日 曇り


 20周年記念の時もそうであったように、今回も前日から佐世保に集まって合同練習することになっている。場所はサンアビリティーの音楽室、時間は午後6時から9時まで。
 僕は午後4時30分頃、伊万里駅で楠林さんと合流した。楠林さんのワゴン車には助手席に評論家が悠々と座っていて、シートを倒した後部座席には2台のキーボードとキーボードスタンド、キーボードアンプ、それに評論家の2本のギターなど、楽器や機材が重なりあって広いスペースを占領していた。僕は足元の大きなアンプをまたいで、楠林さんが確保してくれていた人ひとり分のわずかな隙間に収まった。そして、車は佐世保に向かって出発した。
練習時間までまだ1時間30分ある。
「実は、練習前にちょっと寄りたい所があるんですけど、お願いできますか?」
車が走り出して間もなく僕は切り出した。
今回のコンサートを聴きに岐阜からめぐさんという女性の方がお見えになること。めぐさんは今日佐世保に到着して、Dホテルに宿泊されるらしいこと。わざわざ遠くから来てくださるのだから、お会いしてひとことお礼を言いたいというようなことを、説明した。
「いいよ!」
楠林さんは快く承諾してくれた。
めぐさんの宿泊されるホテルはコンサート会場のすぐそばにあるという。だったら国見峠越えの方が近いだろうということになり、そちらへ向けて走ってもらうことにした。
国見岳は伊万里市と佐世保市の境にあって、この辺りの山のうちでは一番高い山である。その山を国道498号線が蛇行しながら通っていて、頂上付近にバイパスの国見有料道路がある。国見有料道路はそのほとんどがトンネルで、トンネルを抜けるとそこはもう長崎県佐世保市になる。
トンネルを抜けて車が下りかけた辺りで僕は携帯を取り出した。
めぐさんに会いに行くにしても、前もって一言連絡を入れておかなくてはならない。こう見えても僕はかちがらすの中では一番恥ずかしがりやである。初対面の女性と話をするとなると、例え電話であってもガチガチに緊張して言葉が出なくなってしまう。
「ねえ、どんな風に言ったらいいかなあ?」
楠林さんと評論家に尋ねながら僕は何度も声に出して台詞を練習した。それから、思い切って番号をプッシュした。
やはり緊張していたのだろう。どういう風に話したのか明確には覚えていない。ただ、「本番前でお忙しいでしょうから・・・」としきりに遠慮されるのを、10分後にそちらに行きますからロビーに降りてきていただきたいと、強引に約束を取り付けて電話を切ったのだけは覚えている。
10数分後、ホテルのロビーで僕らはめぐさんと対面した。めぐさんはとても明るい気さくな感じの人で、僕らはすぐに打ち解けることができた(と僕は勝手に思っている)。
「7時頃、スタッフの女性を一人そちらによこしますので、買い物とか、食事とか、何でも遠慮なく申し付けてくださいませ。それから、もしよろしかったら近くで練習やってますから見学に来てください。」
そう言って僕らはホテルを出た。

 練習会場のサンアビリティーには予定どおり6時頃に到着した。楽器を下ろし僕と評論家は先に来ていた用務員と一緒に音楽室へ。楠林さんはリーダーを迎えに黒髪に向かった。
メンバーが揃ったのは6時40分頃。それから合同練習に入った。
今回のライブで演奏するのは、全部で20曲。練習はプログラムに沿って順番どおりに進めて行った。練習と言っても、自分のパートはそれぞれ自宅で練習してきてくれているはずなので、ここで行うのはそれをみんなで合わせる程度である。
数曲演奏した頃、めぐさんと美代ちゃんが、続いて克ちゃんと美貴ちゃんが、しばらくして戸辺ちゃんがやってきた。練習も、誰か聴いてくれる人がいれば気合が入るというもの。それに適度に緊張感があっていい。僕はこの5人をお客さんだと思って気持ちを込めて本番のつもりで歌った。
「さあて戸部ちゃんが来たところで・・・」
25周年ライブでは戸辺ちゃんにもフォークソングを2曲歌ってもらうことになっている。『戦争は知らない』と『花嫁』である。その2曲も1回ずつではあるが合わせた。
そしていよいよ大詰め。
「次は『約束』です」と言って僕がさびのソロの部分を歌い始めた時、
「あれっ、これもプログラムに入っていたかなあ?」
楠林さんが慌てたように言った。
「しまった〜!」僕がうっかりしていてメールで送った曲目リストに書き漏らしていたのだ。
楠林さんとしても、リストに『約束』が入っていないので内心おかしいなとは思っていたらしい。
でも幸いなことに、今夜はみんなで一緒にビジネスホテルに泊まることになっている。それも12畳の大部屋に。
「じゃあこの曲は今夜ホテルで練習しましょう!」
そう言って切り抜けた。
時間というものはあっという間に過ぎてしまうもので、結局、全曲消化できないまま途中で練習を打ち切らなくてはならなかった。

 さあて、これから夕食である。この頃には、美代ちゃんはめぐさんとすっかり仲良しになっていて、克ちゃんと美貴ちゃんを含め4人でどこか美味しい海の幸を食べに行くという話しが出来上がっているらしかった。
「ずるい!それなら俺たちも仲間に入れてよ!」てな訳で、かちがらすのメンバーもご一緒させていただくことになった。
楠林さんと用務員と僕の3人は途中、今夜宿を取っている「ビジネス 金子ホテル」に回り、チェックインの手続きを済ませ、ギター等の楽器を部屋に預けてから、迎えに来てくれた克ちゃんの車で食事場所へ行った。
参考までに書いておくが、この時に部屋に運んだ楽器は、キーボード2台、ギター7本(うち評論家のギターが4本)、マンドリン1本、計10個である。ホテルの従業員の方はその楽器の数の多さにさぞかし驚いておられたことだろう。
「演奏会どこでされるんですか?」とフロントの女性に尋ねられたくらいだから。
食事場所は佐世保の繁華街にある「日本海 しょうや」とか言う小料理屋で、座席は畳敷きの掘りごたつになっていた。みんなは僕らが到着するのを待ってくれていたようで、僕らが席に着いてから好みの料理をそれぞれオーダーした。それからビールやドリンクで乾杯した。
僕は基本的に、大きなコンサートの前日は喉の大事を取ってアルコールは一切口にしないことにしている。本番で咽が枯れたり声が出なくなったりするといけないからだ。でもこの時は嬉しかったので、小の生を1杯だけいただいた。
メニューはその屋号のとおりほとんどが海の幸だった。僕らがオーダーしたのは、イカの刺身、エビのジャンボかき揚げ、カツオのたたき、キビナゴの刺身、長崎皿うどん、いろんな魚の手巻きずしなどで、それらをみんなで少しずつ分け合って食べた。
料理も美味しかったし、会話も楽しかった。めぐさんもみんなと打ち解けて、よく笑っておられたみたいだった。そんな風で、僕に限って言えば、ライブ前の緊張感のようなものもほとんどなかった。
1時間くらい居ただろうか、11時頃食事を済ませ僕らは店を出た。夜気は少し冷たく、通りは土曜の夜だけあってけっこう賑わっていた。
「佐世保ってこんなに大きな町だとは正直思っていませんでした。」
表にでてから、めぐさんがおっしゃった。もしかしたら、かちがらすの「田舎者」というイメージが、めぐさんの中の佐世保という町のイメージまで同色に塗り替えてしまっていたのかもしれない。
「ところで、今日食べた中でどの料理が一番美味しかったですか?」
僕は尋ねてみた。すると、返ってきた返事はなんと「キビナゴの刺身」だった。確かにあれは美味しい。けっして高級な料理ではないが、ポンズをかけて食べると酒の肴にはもってこいである。
長崎皿うどんに関しても、ああいうパリパリの揚げめんは岐阜の方にはないのだという。
細い揚げめんに八宝菜みたいなドロドロのルーをかけて食べる皿うどんは、僕らにとっては大好物な料理の一つなのだが、こういうものを食べ慣れない人にとっては、ちょっと抵抗があるのかもしれないなと、めぐさんのリアクションからふとそう感じた。
「じゃあ、また明日!」
そう言い合ってみんなは別れ、それぞれ克ちゃんと美代ちゃんの車に分譲して今夜泊まることになっている場所へと送り届けてもらった。
「ビジネス 金子ホテル」に宿を取っているのは、楠林さんと用務員と評論家と僕の4人で、リーダーは自宅が市内なので今夜は帰ることになっている。

 ホテルに着いた僕らは、早速『約束』を練習して、その間に評論家、僕、楠林さん、用務員の順に風呂に入った。12条の和室に備わっている風呂は浴槽も洗い場も一人で入るのはもったいないくらいに広く、お陰でゆったりと湯船に浸かり、一日の疲れを癒すことができた。
それから電気ポットでお湯を沸かして、みんなでお茶を飲みながら明日の朝食をどうするかとか、何時頃にチェックアウトするかとか打ち合わせをした。布団に入ったのはたぶん12時30分頃だったと思う。僕は珍しく何分もしないうちに夢の中へと吸い込まれていった。

2005年12月3日



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