2010年 今年1年を振り返って



今年は”かちがらす”にとって激動の年でした。その一年を僕なりにざっと振替ってみます。と言っても、4月までの分はすでにレポしているので、5月以後の分になります。
リーダー・川内が体調を崩し入院生活に入ったのが5月末頃でした。その時点で受けていたライブが数本あり、リーダー不在と言う危機的状況の中でそれらのステージを勤めていくこととなりました。

最初は7月23日の老人福祉施設”煌きの場所”の夏祭り。このステージは戸辺さんと二人で臨みました。演奏したのはわずか2曲でしたが、いざステージに立ってみると、いつも僕の左隣に居るはずのリーダーが居ないのです。そんなこと予めわかっていたはずなのに、左側にポッカリト大きな穴が空いてしまっているような感覚に襲われ、僕は思わず戸辺さんに自分の左側に立ってもらうようお願いしました。
しかし、そんなことで塞がるはずもありません。真夏というのに、その穴から吹き込んでくる淋しい風を感じながら、おまけに夕立の雨も浴びながら戸辺さんと二人で予定していた「煌く場所で」と「一本の鉛筆」の2曲を何とか歌い終えました。
その翌日だったか、僕がそのことを電話で報告すると、川内は「よかった!オイがおらん方が演奏やり易かったよと言われたらどうしようと思っていたよ。」とホッとした様子でした。

次は8月24日の中川五郎さんとのライブ。今年も五郎さんにはたいへんお世話になりました。
五郎さんはライブの前に、病院へ川内を見舞いに行ってくださいました。川内が喜んだのは言うまでもありません。
病室で彼は僕に「幸松、ギター持ってきてくれた?」と尋ねたのですが、あいにく僕は、病院内でギターを弾くのはいくら何でも無理だろうと勝手に判断し、持って行ってなかったのです。その判断が、後々まで五郎さんや川内を悔やませることとなってしまいました。僕自身もそのことは未だに後悔しています。
ライブは、五郎さんの「我々の思いを川内さんに届ける為の素晴らしいライブにしましょう!」という呼びかけもあって、とても心の篭った暖かいライブになったと思います。
その頃までは、「川内の居ない”かちがらす”なんて本来の”かちがらす”ではない」と僕自身思っていたので、司会進行役の町豪太さんが、「次のステージはかちがらすの幸松君です」と紹介してくれた時には正直ホッとしたものでした。
まさかあの豪太さんに、僕に対するそういう精神的な配慮があったなんてとても思えませんが、とにかくあの紹介は当時の僕にとってほんと有難かったです。
僕らのステージは、楠林さんと二人で「レジスタンス」、戸辺さんに加わってもらって3人で「I wish」、さらに評論家とジョージにくわわってもらい5人で「平和と平等をあきらめない」と「なぜどうして」の4曲を演奏しました。 そして、五郎さんのステージの最後に、出演者全員で五郎さんの歌「ミーアンドボビーマギー」と「ビッグスカイ」をセッションしました。楠林さんのピアノが入ったことで、何だか五郎さんも乗り乗りで歌い、踊っておられたような気がします。
五郎さんの許可をいただき、この日のライブをノーカットで録音し、後日川内に届けました。
その録音を聴いた感想を彼は、「なかなかよいコンサートでした。なかでも『なぜどうして』と『一台のリヤカーが立ち向かう』は泣けました。五郎さんが楠林さんのピアノを気に入ってくれているのが、聴いていて伝わってきました。ありがとう。」という風に書いてメールで送ってくれました。
それが、僕が彼からもらった最後のメールでした。

三つ目は9月26日の佐世保ロータリークラブ20周年記念ふれあいコンサート。メインは、視覚障害者のクラシック楽団”新生78”で、僕らはその友情出演という立場でステージに立ちました。メンバーは評論家とジョージと戸辺さんと僕の4人。それにニャンコ姫がサポートで来てくれました。
演奏したのは「平和な社会を!そして明日を!」と「なぜどうして」のオリジナル曲を2曲。ギターのトラブルなどもあって、決して良い出来だったとは言えませんが、自分たちの音楽とは全くジャンルの違う、クラシックの、しかもすごい人たちと共演するという、僕らにとってはとても貴重な体験でした。
それにしても、”新生78”の方々はすごい!何がって、皆さんパワフル。前日、リハの打ち上げでご一緒させてもらったのですが、夜の10時から12時まで和食のコース料理を食べて、お酒を飲んで、次の日は何事もなかったように朝食のバイキング料理をモリモリ。
音楽活動をする人たちはあれくらい食べないと体力が持たないんだろうなと、妙に納得したものでした。
コンサートは3時頃に終わったので、その足で皆と報告を兼ねて川内の入院している病院に行きました。
かなり身体はきつそうでしたが、僕らの訪問を歓迎してくれて、そこで先程終えたばかりの”かちがらす”の演奏の録音を聴きながら、彼の家族を交えて一頻り反省会をしました。

四つ目は10月17日の佐賀の盲人会の文化祭出演。14日に川内を皆で歌って見送った直後のライブでした。
「川内が残してくれたものを皆で守って行こう!」というメンバーの思いが一つになっていたのでしょう。楠林さん、ジョージ、戸辺さん、評論家と、現メンバーの全員が駆けつけて演奏に参加してくれました。また、美代ちゃん、ニャンコ姫、古川陽子さんも遠くから応援に来てくれました。
この時に演奏したのは「ふるさとが好きだから」「昔僕らは海にいた」「上を向いて歩こう」「平和な社会を!そして明日を!」「翼をください」の5曲。
もう姿は無いけれど、僕らがこうやって”かちがらす”として歌い続ける限り、川内は何処かでちゃんと聴いていてくれるんだと実感できた一日でした。

五つ目は12月19日の”かちがらすと仲間たち”のコンサート。計画当初はミニコンサート程度に考えていたのが、佐賀新聞社の取材や、それによる宣伝効果なんかもあって、開催してみるとけっこう大掛りなコンサートになっていました。
「とりあえず30人くらい来てくれるといいよね」
コンサート数日前の電話でいづみちゃんとそんな話をしていたのですが、いざ開演してみると、スタッフを含め、ほぼ満員の80人近い人たちが参加してくれていました。その中には川内の奥さんと娘さんたちの姿もありました。
出演者は、いづみちゃん、中西さん、中島さん、かちがらす、かちコンの仲間たちの5組。会場がお寺(願正寺)ということもあってか、とても和やかでアットホームな感じのコンサートだったような気がします。
ちなみに、かちがらすで演奏したのは「レジスタンス」「夏の天使」「海のバカヤロー」「別れのうた」「災い転じて福となせ」の5曲で、かちコンメンバーで演奏したのは「紡」「あの頃!今!未来!」「あの素晴らしい愛をもう一度」の3曲でした。
中でも最後の「あの素晴らしい愛をもう一度」では、かちコンメンバー以外にも、わたぼうし時代、一緒に活動していた田中さんや、他にも数人の友人たちがステージに出てきてくれて、とても賑やかなフィナーレとなりました。
今年2010年は”かちがらす”結成30周年。その記念イベントを僕らの活動の原点の地である佐賀で、しかも当時の仲間たちと一緒に行う。これが今年の”かちがらす”の大きな目標でした。
計画半ばにして、その企画の発案者だった川内は亡くなってしまいましたが、当時からの佐賀の仲間たち、いづみちゃん、ひろこちゃん、トミー、日比生ちゃん、原さん、中西さんと、佐世保の仲間、美代ちゃんや克ちゃん等の協力によって実現させることができました。
きっと川内もこの空の何処かで、コンサートの開催と仲間たちの再会を喜んでくれていることと僕は信じます。

それにしても今年は、仲間たちの絆を強く意識した年でした。
昨年の5月に川内が、ひろこちゃんに繋がる糸一本を手繰り寄せたことがきっかけで、その糸が、あちこちに散らばっていた別の糸たちを手繰り寄せてきて、今一つの大きな仲間たちの森になろうとしています。
こういうことを書くと不謹慎に思う人もいるかもしれませんが、川内は自分が手繰り寄せた仲間たちに見送られながら、人が羨むような逝き方で天に旅立って行きました。
僕なんぞが意図してこのような演出を目論んだとしても、とても実現できるようなものではありません。それをやってのけた彼はやはりたくさんの人の心を動かすだけの大きな人間だったんだと思います。

亡くなる4日前の10月8日に総合病院の個室を借り切って仲間たちのコンサートをしました。今振り返ってみても、よくもあんなことができたものだと、まるで夢の中の出来事だったようにさえ感じます。
「病院でワチの為にコンサートをやろうよ!」と僕の背中を押してくれたいづみちゃん、病院まで出向いて直接交渉してくれた美代ちゃんとジョージ、最終的な段取りとお膳立てをしてくれた戸辺さん、そして、それを承諾してくださった病院の関係者の方々。それに共感してくれた川内の家族。
佐賀の仲間たちと病院と家族とかちがらす、そのうちの一つでも欠けていたら、この病室コンサートはまず実現できてはいなかったでしょう。
病室の広さからして、10〜3人くらいがせいぜいですねと事前に看護師長さんから言われていたにも関わらず、始まってみると、病棟の看護師さんや主治医の先生方、川内の家族も含め、20人以上の人たちがその場に集まっていました。友人は、かちがらすのメンバー以外にも、いづみちゃんはもちろんのこと、原さん、ニャンコ姫、美代ちゃん、沖津さん、克ちゃん、堤さんが来てくれていました。
僕にはその病室が皆の心の宇宙と繋がっている不思議な空間のように思えて、まるで現実とは別の世界に居るのではないか」と錯覚しそうなくらい感動的な時間でした。この日仕事の都合でどうしても参加できなかった戸辺さんや楠林さんやひろこちゃんたちとも、心の中ではちゃんと繋がっていたはずです。
コンサートは、川内が今年の30周年を記念して書いた歌「あの頃!今!未来!」と、彼の好きな松田聖子の「赤いスイートピー」、30周年を記念して”かちコンメンバー”で作った「紡」、川内が自分の子どもたちに宛てて書いた”かちがらす”の代表曲「なぜどうして」の4曲を、その場に居るみんなで一緒に歌いました。
そして、コンサートが終わった後も、川内が学生時代に作った懐かしい歌を数曲口ずさみました。
「演奏を聴くにしても、川内さんの今の体力からして、10分から20分くらいが限界でしょうね」
打ち合わせの段階で病院側からそんな風に言われていたにも関わらず、終わってみると30分以上も歌っていました。
僕は自分の流す涙のせいで見えていなかったのですが、川内もそこに居るみんな同様、歌の間ずっと涙を流していたそうです。それはもしかすると、普段ほとんど人前で自分の感情を見せることのなかった川内の、人前で流した最初で最後の涙だったのかもしれません。
それでも彼は喜んでくれて、コンサートの後の写真撮影にも快く応じてくれました。そして、一人一人の声かけや握手にも時々冗句を交えながら丁寧に応えてくれていました。
僕は川内という一人の人間の生き様と彼の周りに集まってくる人たちの友情、彼の家族の深い愛情を介して、人間の素晴らしさ、仲間、家族の大切さを改めて学ばせてもらった気がします。

10月14日、「お別れ会」と銘打って行われた川内の告別式には、病院コンサートには参加できなかった多くの仲間たちが駆けつけてくれました。その中にはひろこちゃんやトミーや美貴ちゃんや陽子さんも居ました。病室コンサートに関わってくれた仲間・いづみちゃん、原さん、ニャンコ姫、美代ちゃん、克ちゃん、沖津さん、堤さん、そして”かちがらす”のメンバーも評論家、ジョージ、武原、楠林さん、戸辺さんと全員そろっていました。
皆でパーッと歌を歌って送り出してほしいという川内の遺言に従って、僕らは病室ライブの再現とばかりに、皆で心を込めて4曲歌いました。
僕の最も好きな「レジスタンス」、川内の遺作となった「あの頃!今!未来!」、川内が愛する娘さんたちに送ったメッセージソング「なぜどうして」。そして最後の曲が「good by see you again」でした。評論家のギターと楠林さんのピアノ、いづみちゃんのタンバリンに合わせて、僕らは元気を振り絞りながら歌いました。
これまで多くの楽しい思い出をありがとう!次の世でもまたみんなで歌おうね!その時までしばしの別れってことで、"Good by see you again"。そんな思いで僕はこの歌を歌っていました。

リーダー・川内が居なくなっって、これから”かちがらす”がどのようになっていくのかは、正直なところまだ僕にもわかりません。
しかし、彼が残していってくれた歌の数々や、手繰り寄せてくれた仲間たちとの絆は、これからもずっと大切に守っていこうと思っています。
彼が亡くなる前日に病院を訪れた時、僕は、もう言葉を発することさえできなくなってしまっていた彼の右手を両手で握り、「これまで本当にありがとう!後は心配せんでもよかけんね。ちゃんとみんなで力を合わせて”かちがらす”を守っていくけん!」と約束しました。その約束を僕は果たすべく、”かちがらす”という船の舵を取って、新たな航海に出るつもりです。
皆さんにはこれまで同様、応援していただければ嬉しく思います。

2010年12月31日金曜日


川内への思いをいろんな人たちが自分のブログや日記で書いておられます。以下にそのページへのリンクを張っておきます。

中川五郎さん(徒然) 「かちがらすのリーダーとの悲しいお別れ」
           「2010年24日間夏の旅 その13」

いづみちゃん(あんづの部屋) 「数珠とタンバリン」

沖津さん(南国食堂 地球屋) 「追悼 かちがらす 川内さん」

コスモスさん(佐世保便り) 「お別れ会」