2009年「今年1年を振り返って」 (その4)


コンサート当日、僕は他のメンバーよりも一足先に会場入りした。午前9時30分頃だったと思う。用務員はそれよりもさらに早く来ていて、ステージの上で音響機材をセッティングするための下見をしていた。
用務員とは、電話やメールではよく話していたが、直接会うのは久しぶりである。「思ったよりも元気そうで安心したばい」ってな訳で、僕らは体育館から誰も居ない校舎南棟のテラスに移動して、そこに楽器等の荷物と腰を下ろした。
目の前には学生時代走り回った運動場が広がり、その全体を、僕らが座っているテラスも含め丸ごと秋の優しい陽交が包み込んでくれている。季節はいつしか移ろい、日陰の涼しさよりも陽の当たる場所の方が気持ちよいと感じられる時期になってきていることにふと気付く。
僕はケースから愛用のヤイリのギターを取り出し、今日のライブの為に新しい弦に張り替えた。その間ずっと、用務員と近況を報告しあったり、懐かしい学生時代の話をしたりしてノスタルジックな時間を過ごしていた。
体育館では午前中のプログラムが進行している。しかし、僕にはそれを観覧する気持ちの余裕は無い。何せ、自分の分の練習をしなくてはいけないから。
弦を全て張り終えて、チューニングを済ませ声出しをしていると、その声を聴きつけて他のメンバーがやってきた。皆用務員とは久しぶりの再会だ。「タケちゃん久しぶりねえ!元気やった?少し肥えたっちゃない?」と一頻り再会を喜んでから、早速今日のライブの練習に入った。
この日演奏するのは6曲。全て僕の選曲である。
 1. レジスタンス
 2. 秋の色
 3. むつみ寮/寮歌
4. 花
 5. 花はどこへ行った
 6. 災い転じて福となせ!
練習は、ライブでは初めて演奏する「秋の色」、まだ1回しかやったことのない「災い転じて福となせ!」、英語の歌の「花はどこへ行った」などを中心に進めて行った。
ここは何と言っても僕らの母校である。そうやって声出しや練習をしている間、恩師や先輩、友達など、何人も僕らに会いにきてくれた。とても嬉しい。「楽しいライブにしないと!」と自ずと気合が入る。

僕らの出番は午後1時、与えられた時間は30分間である。急いで昼食の幕の内弁当を平らげ、ギターを抱えてステージに上がった。
ライブの内容はあえて書かないが、そこそこに盛り上がったと思う。僕らが学生時代生活した寮の寮歌や、誰もがよく知っている「花」などを会場の皆と一緒に歌ったことで楽しんでも貰えたと思う。
いつものライブの張り詰めた空気感とは違い、ホンノリと暖かいものを肌に感じながら、僕はとても気持ちよくステージを進めていくことができた。
お陰で、つい調子に乗ってしゃべり過ぎて、途中で横からリーダーにイエローカードを出されてしまうという一幕もあったが(笑)。それだけ本人が楽しんでいたってことだから、まあ大目にみてほしい。

この日は評論家の誕生日でもあった。総合司会を担当していた草野優子さんが僕らのかつての同級生ということもあって、評論家の誕生日を覚えてくれていたのである。
ライブを終えた後、
「じゃあ皆さんでハッピーバースデーの歌を歌いましょう!」
ということになり、優子さんの音頭で、評論家に向けての「ハッピーバースデートゥーユー」の大合唱が起こった。
「評論家、君は幸せなやつだ、まったく!」

美代ちゃん、いづみちゃん、ポンポコタヌキ君夫妻も、せっかくの日曜日だというのに、わざわざ僕らのライブを聴きにきてくれていた。みんなありがとう!
自分たちの出番が終わった後は、そのまま体育館に残り、午後のプログラムを美代ちゃんやいづみちゃんたちと一緒に観覧していった。
とてものどかな、僕にとっては心安らぐ時間だった。

帰りはタクシーと美代ちゃんの車に分乗して佐賀駅までいったん戻り、駅構内にあるコロンボという喫茶店に入って皆でコーヒーを飲んだ。1時間くらいそこで楽しくしゃべっていたと思う。
そして、佐世保組二人は美代ちゃんの車で、僕と評論家とニャンコ姫と用務員の佐賀県組はJRで、それぞれ岐路についたのだった。

【ライブ秘話】
 午前中、校舎南塔のテラスで「秋の色」を練習している時のこと。間奏と後奏をリーダーがハーモニカで入れることになっていたのだが、何度やってもコードチェンジのタイミングがうまく取れない。何せ、これまで一度もやったことがないのだから、仕方ないと僕も思う。
「じゃあ、入れやすいように僕がその部分のメロディーを小さい声で歌って誘導するから、それに合わせてハーモニカを吹いてよ。」
そう言って打ち合わせていた。
なので、本番は何とかうまくいった。と、僕はてっきりそう思っていた。ところがである・・・
ステージを降りて待機場所に戻ってきて友人のポンポコタヌキに「今日のライブどうだった?」と尋ねたところ、彼は申し訳なさそうにこう言った。
「とても良かったよ。でも・・・」
と一瞬口ごもってから、
「ただ一つだけ言わせてもらえるなら、秋の色の間奏のラララは入れない方がよかったんじゃないかなあ!」
と、にくったらしいほど正直に感想を述べてくれた。
僕は思わず笑い出しそうになった。
「いくら俺でも、普通ならあんなアレンジはしないさ!」
と言って、小声で彼にラララの秘密を暴露してあげたのだった。

12月5日(土) ピースフェスティバルInさせぼ

 このイベントは長崎九条の会主催で行われたもので、「平和のために私たちにできること」がテーマとなっていた。
メインは東京大学教授の子守陽一先生の講演で、その前のアトラクションとして、僕ら・かちがらすがライブをさせてもらうことになっている。
とは言っても、会場は集客数2000人という、地元のミュージシャンなら誰でも憧れる、あのアルカス大ホール。そんな恐れ多い場所でライブができるのである。
しかも、専属の音響スタッフが備え付けの音響機材を使ってPAをしてくださるというからすごい。まるで夢のようではないか。

当日、アルカス傍のバス停でリーダーとニャンコ姫と11時25分に待ち合わせて、そこから3人で歩いて会場入りした。
会場内は慌しくイベントの準備が進められている。僕らはできるだけそれらの邪魔にならないように、楽屋、は用意してないとのことなので、スタッフの待機用に設けられた部屋に入って、楽器のチューニングを行った。
12時頃からステージでのリハをさせてもらえるとのこと。楽しみである。
イベントの開演時間は午後1時で、僕らの出番は1時30分頃の予定らしい。
今回演奏するかちがらすのメンバーはリーダーと戸辺ちゃんと僕の3人。今年はなぜかこの3人で演奏する機会が多い。確かこれで4本目だ。
僕らはこの3人のスタイルを、Kawachi Koumatsu Machikoの3人の頭文字を取って、PPMのグループ名になぞらえてKKMスタイルと呼んでいる。したがって、この日のライブもKKMスタイルでの演奏ということになる。
ところが、Mの戸辺ちゃん(なんて書くとちょっと誤解されそうだが)は、午前中仕事で本番直前にしか来られないという。果たして大丈夫だろうか?時間が経過するにしたがいダンダンと不安が募っていく。
かちがらすのリハは、予定の時間よりも少し遅れて、12時15分頃に始まった。
さすがはプロの音響である。モニター(音の返し)もその音質も申し分ない。これなら、ボーカルもコーラスもバッチリだ。まるでプロのシンガーにでもなったような、そんな錯覚を起こしてしまいそうな心地良さである。よく、カラオケの音響が気持ちいいと言われるが、そんなものは全く比較にはならない。
と、音に酔いしれていてばかりもいられないので、短い時間を使って、最低限のサウンドチェックをさせてもらう。戸辺ちゃんはまだ来ていないので、代役としてママさんコーラスをされている永江さんにお願いして「翼をください」を歌ってもらった。
12時30分が開場の時間だというので、僕らは早々にリハを切り上げ、待機室に戻った。開演までの30分間で昼食を取ってくださいとのこと。僕らの分も弁当が用意されているようだ。
僕は腹が減っていたので、喜んでそれを頂くことにした。ところがリーダーは、そんな気分になれないという。戸辺ちゃんが本番に間に合ってくれるかどうか気がかりで落ち着かないらしい。
気持ちは分かるが、弁当を食べないからと言って、戸辺ちゃんが早く来てくれる訳でもないだろうに。そう思いつつ僕は、自分の分の弁当を全て平らげた。
戸辺ちゃんがゼイゼイと息を切らしながら駆け込みでやってきたのは、かちがらすの出演時間の5分前。
「よかった!間に合って!」
それから、ざっと今日歌うことになっている曲の大まかな確認と、コーラス部分の簡単な音合わせをしてから、僕らは平然とステージに上がった。
演奏したのは以下の5曲。
 1. ひとつぶの涙
 2. 戦争を知らない子どもたち83
 3. あと一マイル
 4. 一本の鉛筆
 5. 平和と平等をあきらめない
今回は、5曲中3曲戸辺ちゃんがボーカルを取ってくれたのだが、その戸辺ちゃん、「私は本番に強いから・・・」と自分で言っているだけあって、とても素晴らしかった。
こんな言い方をすると失礼になるかもしれないけど、あの小さな体からどうしてこんな大きな声が出るんだろうと僕はいつも不思議に思ってしまう。しかもリハの声出しを全くしない状態でである。
僕もけっこう声量はある方だと思うが、僕がかなり声を張ってコーラスしても、戸辺ちゃんのボーカルはけっしてそれに負けてしまうようなことはない。
だから、僕も思いっきり声を出せるし、それがまた戸辺ちゃんのボーカルにきちんと重なった時は、とても心地良いハーモニーとなる。ライブの場合、自分たちの歌を客観的に聴くことはできないのであくまでも憶測にしか過ぎないが、この日の僕らはおそらくその状態に近かったのではないだろうか。
それも言わばアルカスの音響のお蔭ってことになるんだけれど。

(その5)に続く

2009年12月30日



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