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2009年「今年1年を振り返って」 (その3) コンサート会場になっているのは出島ワーフの1階中央広場。僕は見えないので全体的な広さは分からないが、音の反響や周りの建物の気配からして、そこに足を踏み入れた瞬間、ここはさほど広くない、中庭的空間なのかなって感じがした。 ステージでは風太郎さんが歌っている。風太郎さんとはほとんど直接会話したことはないが、何故か良くイベントで共演させてもらっている。エレキギター一本で弾き語りをされる、とてもエネルギッシュな、九州では有名なシンガーだ。 プログラムでは、次が僕ら・かちがらすになっているらしい。しかし、僕らは今着いたばかりで、ギターのチューニングも済ませていない。梅さんに無理にお願いして、順番を一つ遅らせていただくことにした。 建物の2階に設けられた控え室らしき場所に通され、そこでチューニングと、司会者との簡単な打ち合わせを行った。 今回の太陽の祭りで司会をされているのは、元NBC長崎放送の女子アナ・佐藤利恵さん。僕にとってはなんかアイドルみたいな存在の女性だ。 利恵さんと、紹介コメントやステージの進行に関してざっと打ち合わせてから、僕らは簡単に自分たちの演奏面の確認を取り合った。何せ、前にも書いたように一度も合わせて練習していないのだ。 この日演奏することになっているのは 1. 長崎のお嬢さん (梅さんからのリクエスト。) 2. 僕たちのフォーク喫茶 (梅さんがNBCラジオでパーソナリティーをされていた「音楽時代屋」という番組の中で行われた「よかよかストリート」の第何回目かで、グランプリをいただいた”かちがらす”のオリジナル曲。ちなみに、その時一緒に番組を担当されていた女子アナが今回司会の佐藤利恵さん。) 3. 災い転じて福となせ! (冒頭に書いた理由で選曲。) 4. ママはフォークシンガーだった (サムの松崎さんのソロアルバムに収録されている曲。リーダーが、梅さんにぜひ聞いていただきたいということで選曲。) の4曲。中でも4曲目の「ママはフォークシンガーだった」は、これまで一度もステージで演奏したことがない。それどころか、練習すらしたことがない。 3曲目の「災い転じて福となせ!」も、ジョージのボーカルでは何度かやったことがあるが、それももうずいぶん以前のことで、僕がボーカルを取るのは始めてだ。しかも、ジョージの時とキーを若干変えている。何を言いたいのかというと、この歌も初めて演奏するに等しいということ。 「はたして、上手く行くだろうか?」そういう一抹の不安を抱えつつ、僕らは慌しくステージへと上がった。 ギター2本というのは、案外融通がきくものである。心配していたとおり、僕が「災い転じて福となせ!」のエンディングの「ららら」のフレーズを飛ばして歌ってしまったにも関わらず、リーダーはちゃんとついてきてくれた。ような気がした。 あと、細かく言うと、練習不足は不安と緊張を助長するらしく、僕は緊張で指が思うように動かず、リードギターを随所でミスタッチしてしまった。そういった意味で、やはり練習はメンタルな面においても必須だとつくづく思った。 ステージを降りると、早速梅さんからビールの差し入れがあった。それからの僕は・・・ よく覚えていない。何せ、会場に居た3時間の間に缶ビール4本とワインを紙コップ2杯も飲んだのだから。 こういう時、以前なら用務員にプルルと電話をかけて、僕の記憶の欠落している部分を埋めてもらっていたのだが、その用務員も現在家に引き篭もり中の為それも叶わない。 なので、このまま記憶の場面にかかっている霧のようなものを少しずつ振り払いながら頑張ってレポを進めていきたいと思う。 ライブの出演者名の欄を見ると、特別友情出演として、数人のミュージシャンの名前が書かれている。風太郎さん(熊本)もその一人で、他にも僕が知っている人では、2004年に「音楽時代屋伝説LIVE IN ドングリ村」で共演させていただいた原口純子さん(福岡)、面識はないが、お名前はよく存じている金森幸介さん(京都)など、とても豪華な顔ぶれである。 その同じく特別友情出演者として、ブーちゃん(沖縄)という方がおられた。そのブーちゃんが僕らが椅子に座ってビールを飲んでいる所にやってきて、こんな話をしてくださった。 自分とサムの松崎さんとは、とても親しい友達である。その松崎さんの歌「ママはフォークシンガーだった」を目の前のステージで歌っているグループがいる。 思わず嬉しくなって、携帯電話のカメラでそれを撮影し、松崎さんに「君の歌を歌っているグループがいるぞ!」と写メールで送ったそうである。 すると、すかさず松崎さんから、「そのグループ”かちがらす”なら自分もよく知っているよ」と返事がきたのだそうだ。人間の糸って、どこでどう繋がっているか本当に分からないものである。 それから急に親しみが沸いて、ブーちゃんといろんな話をした。ような気がする。 ブーちゃんも型番は違うが、僕と同じギルドのギターを愛用されていて、同じく自分もギルドを所有しているという、あのギターピッキングの神様”橋口ひろすけ”さんと3人で、ひとしきりギルド談義で盛り上がった。 橋口さんは、僕らがステージを終えて観客席に引き上げてから、会場を出るまで、ずっと僕らの相手をしてくださった。舞台の様子を解説してくださったり、暮れていく出島の風景を分かりやすく描写してくださったり、僕らをトイレまで誘導してくださったり、とても親切に接してくださった。これまでフォークシンガーとしての一面しか知らなかったが、人間的にもすごく暖かな人だなと感じた。 そういう気分の良さがお酒の味を美味しくさせたのだろう。だから僕は調子に乗って、梅さんが進めてくれるビールやワインを片っ端から飲み干していったって訳である。 梅さんと言えば・・・ 「金森幸介さんのライブ、ぜひ聴いて帰ってね。彼はボクの今一押しのフォークシンガーだから。」 僕なんぞが安易に感想を書いたりしたら安っぽくなってしまうので止めておくが、金森さんがギター一本で奏でる音楽の世界はとても独特で、それはまるで哲学的であり、かつ幻想的であり、僕なんかがけっして足を踏み入れることのできないフォークの聖地って感じがした。 出島の暮れていく夕焼けの風景とのコラボレーションが特にそのように思わせたのかもしれない。とにかく心の深い部分が揺さぶられた感じだった。 梅さんに勧められたからという訳ではないが、最後まで金森幸介さんのライブを聴いてから僕らは席を立った。 そして、梅さん、橋口さん、Reiさん、橋の介さんたちと挨拶を交わし、僕らは帰路に着くべくタクシーに乗り込んだのだった。 その後は、長崎駅で弁当を買って、7時40分頃発の佐世保行き快速列車に乗り込んだと思う。ただ弁当は何を買ったのか、どうやって列車に乗り込んだのかまでは覚えていない。何せ、アルコールの酔いがかなり回ってきていたから。 はっきり覚えているのは、僕らだけでは不安だからと、ニャンコ姫が途中の浦上駅まで同じ列車に同乗してきてくれて、浦上駅で博多行きの特急かもめ号に乗り換えて帰っていったということだ。 ニャンコ姫さん、あの時はどうもありがとう。本当に助かりました。 そのニャンコ姫だが・・・ と、今回の僕のレポはまるで酔っぱらいのようにあっちにフラフラ、こっちにフラフラ、ちっともまとまりがない。 でも、これはニャンコ姫から後に聞いた感想なのであえてここで書かせてもらうが、橋の介さんのライブを初めて見て、すごいかっこよかったと絶賛していた。 正確な表現は忘れたが、ステージに立っている橋の介さんは、それだけで見ている人を魅了するオーラみたいなものがあると。 僕も以前、何処かのライブレポで同じようなことを書いた覚えがある。やはり、感じることは同じなんだなと、妙に納得したものである。 橋の介さんに対して、最近リーダーが「ハーモニカの師匠」と呼ぶようになった。もちろん、橋の介さん本人は全くご存知ないことだが。それも、太陽の祭りで橋の介さんのステージでの演奏を聴いてからのことである。 と、最後に付記しておく。 10月18日(日) 佐賀県視覚連文化祭 ”かちがらす”へのライブ依頼は、リーダーを介して行われるのが普通だが、たまに例外もある。それが今回の文化祭出演だ。 電話を受けたのは僕。佐賀の視覚連には僕自身も所属しており、依頼の電話をかけてきた人が盲学校の先輩であり、盲人会野球部の大先輩でもあったので、僕はリーダーに伺いを立てることなく、勝手に出演を承諾してしまっていた。 例えリーダーが拒んでも、他のメンバーが都合つかないと言っても、最悪、自分一人ででもやるぞという腹積もりで。 ところが、メンバーに電話とメールで出欠を尋ねてみると、リーダー、評論家、戸辺ちゃんの3人から参加の返事が返ってきたのである。これは正直、嬉しい誤算だった。 評論家は僕と同じ資格連の会員なのでたぶん参加してくれるだろうと踏んでいたが、リーダーと戸辺ちゃんは佐世保だし、わざわざ佐賀まで楽器を抱えて歌いにくるのはちょっと無理だろうと勝手に思い込んでいたからだ。 誤算と言えばもう一つ。ダメ元で当日のPAを用務員に電話で依頼したところ、こちらも二つ返事で承諾してくれた。 こうやって、バンド”かちがらす”としての文化祭出演が実現したのである。 (その4)に続く。 2009年12月30日 |